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つのへび日記

こなやぎのブログです。2015年4月から1年間滞在した中国江蘇省・南通市のこと、手仕事、語学、短歌など。

『恋の罪』2011/日本/144分/

映画 感想メモ 長文

園子温の映画は『愛のむきだし』でがっちりハマってしまって以来『紀子の食卓』『自転車吐息』『冷たい熱帯魚』と観てきた。「園子温の映画だ!」というだけで胸騒ぎがするようなどぎつい個性の持ち主は、今撮り続けている映画監督にはそんなに多くないとおもう。実写版かゆるふわ映画かもしくはその両方、がのさばる日本映画のただなかにあって、フルスロットル、ハイテンションの怪作を次々世に問う、モンスターのような監督なのである。

あらすじは割愛する。いわゆる「東電OL殺人事件」にインスパイアされたとあるが、文字通り着想を得ているにすぎず、登場人物の女性も「大手企業のエリート」ではなく、有名大学助教授、セレブ妻、刑事という「持てる人々」に置き換えられている。その上で刑事=吉田和子水野美紀)が狂言回しの役を負って、事件の究明とともに春をひさぐ女達や自身の闇に対峙するのだが、そういったシリアスな面もさりながら、セレブ妻=いずみ(神楽坂恵)が貞淑な深窓の妻から明るく溌剌として堕落していくさま、彼女に奇妙な思慕をいだかれ「お前はきちっと堕ちてこい!私のとこまで堕ちてこい!」とスパルタ指導する助教授(夜は売春婦)=美津子(富樫真)の狂気がかった演技など、見どころも笑いどころも多い。
それから園作品をつらぬく「家族」というテーマが今回も登場しており、それがサスペンスとしての物語の有りようを複雑にしている。

この映画に関するインタビュー記事で、園子温は「女性目線で撮った」としばしば語っているのだが、私はきわめて男性的なアプローチだったと感じた。かつて『紀子の食卓』で自分が処女であることを気にしていてなおかつ「男の子になりたい、自分の女っぽい部分が嫌だ」と言う主人公の、あまりにリアルな二律背反の感情に私は愕然としたが、それに比べれば随分デフォルメされている印象を受けた。以下がその理由だ。

彼女たちが金も地位もありながら売春に走った理由は作中では明確には語られてはいないが、繰り返し引用される詩がある。

帰途   田村隆一

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか

あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ

あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう

あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるのか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか

言葉なんか覚えるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる

「私には私のことが何もわからない!」といういずみに「言葉はすべて肉体を持っているの。肉体がない言葉に意味はないわ」という美津子。
この「自己の意味の探究」「自己(の内面の)肯定」というのはすこぶる男性的だと思うのだ。

例えば、これが女性が撮った女性の映画、それも「春をひさぐ女」の映画ならどうだろうかと考えた時に、蜷川実花の『さくらん』が浮かんだ。
(原作マンガを読んでいないので、以前見た映画のみの印象になるのだけど)
あれは「媚びない、かっこいい、自立した女」を主人公に据え「愛に死ぬ女」「すべてを持ち僥倖を得る女」等の「あるべき美しい女」のテーマ展示のような作品だったと思うが、畢竟「美しい」こそ女性を動かすてこだというある種の真実味というか正直さがあり、個人的には「しょせん女というのはこんなもんだろうなー」というような卑下を否めない。
まあ、花魁というと10代〜20代初めで、かたや『恋の罪』の女性はみな分別ある30代しかも才媛なので、「存在理由を外見(の形容から派生した善きもの)に向けるか内面に向けるか」というのは「スイーツとエリートの思考の差」とも言えそうだが、衣食足りた人間が次に直面するのは自己肥大の問題であり、こと女性であると「自分を認めてほしい」には「自分の女性としての美しさを認めてほしい」も大いに含まれるのだと思う。

例えばこういうシーンがあった。捜査室内、吉田が男性部下と二人で事件について会話している。このとき何ごとかを(セリフ失念しました、ごめんなさい)吉田に問いかけた部下が、「あっすいません、これってセクハラですかね?…」と自らを軽く諌める。小さな間が空く。

事件の舞台は'99年ごろという設定だが、気になったので調べてみると日本でセクハラが取り沙汰されはじめたのは'80年代末で、'89年には流行語大賞になっている。'90年代は後半に立て続けにセクハラを理由にした民事裁判が起こっている。

上記のシーンがこうした時代背景までを孕んでいるというのは考えすぎかもしれないが、ちょうど性差への言及が過剰にタブー視され、抑圧されている頃だとすると、ますます女性の願望は劇中ほど深遠ではないのでは、と思える。そういえば彼女たちと関係する男性はほとんど(AV撮影クルーを除いて)彼女たちの外見を褒めない。ただ対価を払い、事に及ぶだけである。映画としてそこで陳腐なセリフを吐かせては終わりだし、その意味でも奇妙に新しい女性映画だと思う。

園子温は本作を「女性賛美」の映画だとも言っているが、初めて「まったく美醜を顧みることなしに自己を追究する女性」を描いた点ではそうかもしれない。ちょっと褒めすぎの感もあり、その虚構性がこの映画を映画たらしめているのだろうとも思う。そのことは、これを書く前にざっと目を通したネットのレビューに、妙齢女性による「そうなの、女性には裏の顔があるのよ♪ウフッ」といったドヤ顔コメントを散見したことで改めて確信しつつもある。


『恋の罪』公式サイト
『愛のむきだし』公式サイト
映画『さくらん』公式サイト

サイトを見ているとまた『愛のむきだし』が観たくなってきました。2回観たのに。