つのへび日記

こなやぎのブログです。手仕事、語学、短歌、読書や映画など。

あなたと話がしたい

あけましておめでとうございます。

このブログもずいぶん放置していました。
長い文章を書くリハビリをかねて、近況報告を。

今の仕事(貿易事務)は今年で4年目、さいわいこのコロナ禍の中にあっても忙しくさせてもらっていました。
というか、この頃は、ちょっとあれ?と思うくらい忙しくなっていました。

春頃はまだ良かったのです。
こちらが勤務体制の大きな変更を余儀なくされていた頃、主なお仕事相手の国も停滞していたため
こちらでは新体制についてのアイデアをあれこれ考えることにリソースを割けました。
在宅勤務中に豆を煮たり、蒸し料理を作ったりする余裕もありました。

夏にこちらの緊急事態宣言も解除され、世界も軒並みいったん正常に動き始め
お仕事相手の国は、今までの分を取り返そうという勢いで猛烈に稼働を再開した頃
こちらは相変わらず生産性の上がらない在宅↔出社の交代勤務と、
「いやいや、仕事ができる人はどんな環境でも遜色なくやれるはず」という理想のあいだで板挟みになっていました。

しんどいと思っていたけれど、いわゆるエッセンシャルワーカーに比べれば、仕事が減ったりなくなったりしている人に比べれば、自分はこれでもずいぶん楽をしているじゃないか。
確かにこの頃は、大嫌いだった残業も当たり前のようにしているけれど
いつまでも続くわけじゃなし、
私がそれを嫌だと言ったところで他の誰かが代わりにしんどくなるだけなのだから
それなら、有能な自分がこれまで通り引き受けていればいいんじゃない?
なんて思っていました。

ここまで読んだらお察しの通り、それから2ヶ月もしないうちにだめになってしまい
幸い「だめ」を自覚していて対策候補をいくつか考えていた矢先に、
「だめ」に気づいてくれた同僚の声かけのタイミングの良さとか、
その時考えていた「対策」を話した後のその人や周囲の人の迅速さや適切さとか、
クリニックへの予約を入れる踏ん切りを与えてくれたある出来事とか、
たまたま1件目から良いクリニックを引き当てることができた運の良さとか、
他の同僚や上長の人の良さ、聡明さ、そんな様々なものに助けられて、
ドクターいわく「正常以上、病気未満」だった状態を脱しつつあり、
仕事も時間や量を定時・定量以内にセーブしつつ、何とか続けられています。

自分にとっては生まれて初めてというレベルの深刻な不眠がだんだん良くなっていった頃、
私には知りようのない苦しさというものを少しでも理解したいという気持ちから
手に取った本があります。

沖縄のデイケア施設で、大志を抱く若き臨床心理士が向き合った「ケア」と「セラピー」の現実を
つとめて読みやすく、門外漢にもわかりやすく、笑いを多く交えつつも同時に切実に綴った好著です。
文中、「ケア」と「セラピー」の違いについて言及した箇所、そして施設の「メンバー」同士が互いにケアし合うくだりを読んで
ああ、私はケアされているんだなと思ったのでした。

ケアはサービスとは異なり、一方が他方へ与え、他方が一方から享受するという片道切符ではありません。
誰かをケアすることで、同時にまた自分の心身もその人からケアされているのだと。
その意味で、貨幣経済とは別の原理が「ケア」には働いていると著者は言います。

上記でサービスを例に挙げたけれど、たとえば接客業における店員と客とのやりとりにおいても、
相互に「ケア」が生じうる場面もあると思うのです。
いや、無人レジでもない限り、多かれ少なかれそこには「ケア」があると思います。
時としてそれは無意識におこなわれます。

例えば12月のはじめに届いた母からのLINE。
その朝、母は自分で焼いたというお菓子の写真を送ってきてくれました。
私は何週間も前にシュトーレンの材料を取り寄せたのに何をするにも無気力で、手つかずのままでした。
そのことを書き、それでも努めて明るく「今日できたらいいな!」と送ると、
母からは「出来たら見せてね。楽しみにしてます」と。

母には私を助けたとか、ケアしたという自覚はなくても
私がこの時、母に出来上がりを見せたいという気持ちで行動できたことは
母からケアを受け取ったのだと思います。

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このマンガの4巻「PTSD」の章にも、『居るのはつらいよ』同様
「いる」ことが相互のケアへ作用する場面が出てきます。
人は人に癒やされる。

(余談ですが、このマンガの1巻を読んで
「カジュアルにカウンセリングを受けてみてもいいのでは?」と思ったのが
私の「対策」であり、対策を考えはじめたきっかけです。
結局その後、1ヶ月近く何もできずにいたのですが…)

声をかけられてヘルプを出してから数日後、同僚と個人メールのやりとりを始めました。
数年来同じ部署で働きながら、互いの情報をほとんど知らなかった人と
情報や感情の交換をするのは単純に面白くて、
相変わらず仕事は忙しいけれど、だんだんと日曜の夕方に絶望することもなくなっていきました。

自分のしんどい感じや状況をTwitterで小出し小出しにつぶやく一方で、
同僚と、ゆっくり長いメールのやりとりをしていて考えました。
インターネットの海に小瓶を放り投げるような
「分かってくれる人が分かっていいねをつけてくれる」コミュニケーションを、私は良しとしてきたけれど
もしかしたら私はずっと、対話がしたかったのかもしれないな、と。
もしかしたら皆、いや、皆とまではいかなくても
本当は「対話」を必要としている人が、この中にはたくさんいたりするのかな?
そんなことを考えたのです。

あなたのことをもっと知りたいな、と思う人が私にはたくさんいるな、とも気づきました。
はてなや他の何かで相互の方、ゆっくり双方向のやりとりをしませんか。Twitterで相互の方はDMをもらえたら返します。
よろしくお願いします。

短歌ふたたび(アプリ「うたよみん」への投稿作まとめその1)

このところ、また短歌を作るようになりました。

はてなブログで「短歌の目(今はお休み中)」を主催されている卯野抹茶(id:macchauno)さんが時々「うたよみん」に投稿されているのをTwitterで見ていて、自分もやってみたいなとアカウントを作ったのが約1ヶ月前。しばらくは「短歌の目」のために詠んだ過去作を上げていこうと思っていたのですが、だんだんとカンを取り戻してぽつぽつ詠めるようになってきました。

 

たとえば、「短歌の目」自作のなかで一番気にいっているこの歌なども、


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こうやって短冊風の画像で投稿できるのがいいですね。

画像のように1行でのレイアウトも可能ですし、もしそうしたいなら改行することもできます(私は1行レイアウトが好みですが)。

 

あと、自作にはハッシュタグを自由につけることができ、ハッシュタグから横断的に他の人の投稿した短歌を見ることができますし、「みんなで歌会」という、その時々の決まったハッシュタグを用いた題詠にも参加できます。

 

というわけで、ここからは最近「うたよみん」に投稿した新作からの自選短歌まとめです。これらの共通点は…自分ではお気に入りなのに、自分の他の歌に比べてよいね!が少ないことです。笑

作歌の背景など自分が書きたかったので、下の方にまとめて付記しています。

 

  1. 胃の中に蝶飛ぶ夜は北国の僧の名に似た紅い茶を飲む
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  2. シュトレンの重みや嬉し地下鉄にオーデニールの紙包み揺れ
    f:id:isachibi59:20181231204935j:image
  3. 空港の定点カメラが彼方なる残光とらえ街よおやすみ
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  4. バスを待つ少女らの頭上(うえ)薄紅のヒジャブに触れて季節風(モンスーン)過ぐ
    f:id:isachibi59:20181231210059j:image
  5. 多生の縁てふものありや今しがた行き交ひざまに嚔(くさめ)した犬と
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  1. 題詠「ティー」へ寄せて。ラプサンスーチョンとラスプーチンって似てるよね、という。
  2. 日記のような短歌その1。この背景色と文字色を使いたいがために動画広告を見ました(うたよみんは無料アプリですが、動画広告を30秒見ることで普段制限されている機能を30分使うことができます)。
  3. 題詠「おやすみ」へ寄せて。作歌したときは、単なるオフィス街の夜更けをイメージして比較的すんなりできたのですが、終末ぽい風景にも見えるな?とあとで気づいてもっと好きになりました。
  4. 日記のような短歌その2。ウールみたいな素材の、あたたかそうなピンクのヒジャブを着用している女の子を実際にバス停で見かけて、何とかしてこのうつくしい瞬間を短歌にしたい!と思ってうんと考えました。うたよみんの短冊はこうして好きにルビを振れるので、つい遊びすぎてしまいます。
  5. 題詠「犬」へ寄せて。日記のような短歌その3でもあります。

 

今後もある程度短歌がたまったら、定期的にまとめたいと思います。今年のまとめエントリという感じではないですが、来年もよろしくお願いいたします。

2017年8~12月に読んだ本

長いことブログを放置してしまっています。

とりあえずこのままでは今年の読書記録もままならないので、2017年のまだここにまとめていなかった本の記録だけでもやっておこうかな、と思った次第です。

 

2017年(1年分)の読書のまとめは以下のリンクからも。

https://i.bookmeter.com/users/17108/summary/yearly

 

以下、2017年8月〜12月の読書記録です。

読書メーターの「まとめ」機能は「先月分」もしくは「去年分」のまとめのみ生成できるので、この期間の分はAmazonのリンク+読メの自分の感想のコピペにします。

 

2017年8月(3冊)

 

寝るまえ5分の外国語:語学書書評集

寝るまえ5分の外国語:語学書書評集

 

語学書しばり、もっと言うと「原則」白水社しばりという書評集。公平にも検定対策本まで取り上げられていて、実際に受験しないまでも初中級のおさらいやレベルチェックに取り組んでもいいかもな、などと思わされてしまう。自分が密かに良書だと思っていた地味な本(話題にも特にならず重版もされていない)を黒田先生も褒めていて、でしょでしょ!と嬉しくなったり、狭義の語学書にとどまらず語学学習をテーマにした小説なども取り上げられていて、まんまと読みたくなってしまったり。ぜひ次は、版元の縛りに囚われないものを上梓してほしい!

2017/8/31読了

 

翻訳できない世界のことば

翻訳できない世界のことば

 

存在はずっと前から知っていたが自分には合わない気がして手を付けなかった本。入った喫茶店に置いてあったので読んだが、直感の正しさを確認した。カタログとしては楽しいかもしれないが、日本語からの収録語「ぼけっと」や「侘び寂び」などの解説が恣意的で拡大解釈すぎて不信感があるため、他の語に対しても同様の疑念がつきまとう。以前、改訂にあたりいくつかの語の意味を一般から公募した国語辞典に寄せられたものを見て、大喜利かよ…と脱力したのだが、それを思い出した。あと読みはカタカナでなく国際音声記号で表記してほしい。

2017/8/20読了

 

コンテナ物語―世界を変えたのは「箱」の発明だった

コンテナ物語―世界を変えたのは「箱」の発明だった

 

途中ブランクを挟みつつ、ようやく読了。ただの箱であるコンテナがいかに物流・海運へ革命をもたらしたか、というのが本書の主たる内容で、こう書くといかにも地味なのだが、実際読んでいると、人間的魅力に富んだ一人の起業家の一代記というような側面もありつつ、お上たる行政機関・港湾局VS民間企業たる海運会社の攻防や、さきの明暗を分けることになる各主要港のコンテナ輸送への反応の違いなど、ディテールの面白さがたまらない。10年前の本なのでデータの古さは否めないが、産業や物流の現代史を知るには類書のない貴重な読み物だと思う。

2017/8/19読了

 

2017年9月(8冊)

 

菜食主義者 (新しい韓国の文学 1)

菜食主義者 (新しい韓国の文学 1)

 

とても面白いものを読んだという満足感。3つの短編の連作で、最初それとは気付かなかったのもあり、表題作だけで割と良くあるヘンテコ風な幻想小説かな、と決めつけてあやうく読むのを止めるところだったが、その次から俄然面白くなってきた。本作は自らの過去作品からの翻案とのことだが、あらすじを読む限り、元の小説のような寓話性を徹底的に排除したこちらの方が、より鋭く凄みを帯びていて成功しているのではないかと思った。もうすぐ出る著者の新刊が気になり、その布石としてこちらを手にとったのだが、これならかなり期待できると感じた。

2017/9/28読了

 

ラテン語の世界―ローマが残した無限の遺産 (中公新書)

ラテン語の世界―ローマが残した無限の遺産 (中公新書)

 

やっと読めた。途中ちょっとしんどかったけれど、後半は勢いが付いてかすらすら読めた。漠然と、ヨーロッパの言語は歴史的にまずラテン語ギリシャ語が双璧なのかと思っていたけれど、それはある単語の語源を遡って調べたときにたいていラテン語ギリシャ語に行き着くからそう思いこんでいただけで、実際は後世のラテン語と英語の関係のように、ラテン語もまたギリシャ語から色んな語を借用しているというのを知れたのが一番の収穫。著者が毒舌で好みの文章なのと、最終章でラテン語に触れるための具体的ツールを示してくれているのもよかった。

2017/9/26読了

 

カモ少年と謎のペンフレンド (白水uブックス―海外小説の誘惑)

カモ少年と謎のペンフレンド (白水uブックス―海外小説の誘惑)

 

黒田先生の『寝るまえ5分の外国語』で紹介されていたのが読んだきっかけ。児童文学ということもあって、すんなり読了の運び。カモとかあさん、ぼくと僕の両親や先生とのやりとりなども笑えるし、中盤以降の展開もドキドキ感があり最後まで飽きない。まだ仏語は勉強してないけど、原書探してみたくなってきた。四部作ということもあとがきで知り、そちらの残りも読んでみたい。

2017/9/24読了

 

ドイツ語エッセイ 笑うときにも真面目なんです (音声DL BOOK)

ドイツ語エッセイ 笑うときにも真面目なんです (音声DL BOOK)

 

本書はまず語学講座テキストのために書かれた外国語(日本語)のエッセイがあり、それに母語(ドイツ語)を足して書籍化したものとのこと。初読として、左側のドイツ語ページの気になる単語を拾い読みしつつ、右側の日本語エッセイを楽しく読んだ。ドイツ語は今のところ優先順位低めだけど、いずれ学習のために再読したいなあ…。柔らかくキャッチーなテーマばかりで、Twitterで時折見る時事などへの鋭い視点を持った文章ももう少し読みたかったなあ、とも。音声データも聴けるとのことで、そちらも(学習の折には)楽しみです。

2017/9/19読了

 

Hillbilly Elegy: A Memoir of a Family and Culture in Crisis

Hillbilly Elegy: A Memoir of a Family and Culture in Crisis

 

邦訳を読んだ後でのチャレンジ。いかにも教育を受けた人の文章らしく(自分には)語彙レベルがまあまあ高めだけど、その中に時折挿まれるヒルビリーらしい会話文やジョークが、ともすれば深刻になりすぎるようなテーマの本書のテンポをほどよく軽快にしている。こういう、一文が長い「賢い文章」のライティングスキルは是非とも身につけたいと思った。匆々と読み飛ばした箇所も少なくない割には読むのに時間がかかりすぎたので、もう少しスキルアップしてから再挑戦します。

2017/9/17読了

 

[カラー版]昆虫こわい (幻冬舎新書)

[カラー版]昆虫こわい (幻冬舎新書)

 

昆虫が苦手で写真を見るのもつらいという方には無理強いはしないが、「そこまで興味はない」くらいの人には是非とも勧めたい(そして虫好きにしたい)。美しいカラー写真や豊富な知識だけでなく、虫を求めて異文化圏に飛び込む著者一行の臨場感、素敵な収穫を得たときのわくわくや喜びなどがストレートに伝わってきて楽しかった。もっとこの本の世界に浸っていたい、本というものに終わりがあるのはつまらないな、という気持ちを物凄く久しぶりに味わった気がする。

2017/9/15読了

 

紅茶スパイ―英国人プラントハンター中国をゆく

紅茶スパイ―英国人プラントハンター中国をゆく

 

茶の木とその製法を最大の輸出物であり知的財産として頑なに守り、外部に漏らすまいとした清朝の中国。東インド会社に雇われそれらを盗み出すべく未知の中国内陸部へと分け入る、叩き上げのスコットランド人プラントハンター。彼の冒険を主軸に、貿易や紅茶産業の歴史、英国の園芸文化などをも広く描写したノンフィクション。最高に面白かった。今更ながら世界史に興味が湧いてきた。務めを終えたプラントハンター・フォーチュンが幕末の日本を訪れた際の旅行記もぜひ読みたい。

2017/9/13読了

 

英語達人列伝―あっぱれ、日本人の英語 (中公新書)

英語達人列伝―あっぱれ、日本人の英語 (中公新書)

 

新渡戸稲造斎藤秀三郎の章目当てで手に取ったけど、他の章に取り上げられていたどの人物も魅力的なエピソードに満ちていて、面白く読んだ。鈴木大拙の最後の言葉が英語だったなんて知らなかった。あまりに有名な白洲次郎とホイットニーのやりとりや岡倉天心のボストンでの事件など、どうしても派手な説話にばかり目が行くが、本書中のどの人も全くの天才肌というわけではなく、皆たゆまぬ努力をしていた点を見逃してはいけないと思った。幾度も挿入される著者の教育論には概ね同意するけどちょっと煩く感じてしまった。

2017/9/6読了

 

ちなみにこの頃(2017年9月)から読書メーターでの読んだ本分類をNDC準拠で始めています。自分でもちょっと気持ち悪いとおもう。

 

 

2017年10月(2冊)

幕末日本探訪記 (講談社学術文庫)

幕末日本探訪記 (講談社学術文庫)

 

『紅茶スパイ』で本書の存在を知ってその流れのまま読んだ。『紅茶スパイ』でのフォーチュンの活躍が彼のハイライトだとすると、本書で綴られた日本や中国での旅は「余生」ということになりそうではあるが、さても充実した余生であることよ。多くの有名無名の人との交流、山川草木の描写、そして(嫌味なのかどうなのか判らない紙一重の書き方による)中立で冷静な視点が一貫していて、とても良い。異文化と接した時の最も規範的な態度のひとつをも、本書には見た思いがする。

2017/10/16読了

 

 

本書は、トーマス・マンがWW2前夜から死の直前まで書き綴った日記を、池内紀がダイジェスト的に解説したもの。ダンディで冷静沈着、権力に阿らないマンの戦争への姿勢は、本邦の永井荷風のようだ。一方で後年自らの創作力の衰えを自覚し、巷で再評価されだしたカフカを読み漁っているのは微笑ましい。読後、各章扉の写真を年代順に見ていると物悲しい。亡命生活の不便や苦労は勿論、戦後のドイツ国民からの非難はさぞ堪えただろう。明晰だったマンも、晩年はかつての妻の両親同様ある重要な決断がすぐには出来ず鈍化していたのも印象に残った。

2017/10/4読了

 

2017年11月(4冊)

フィリピンを知るための64章 (エリア・スタディーズ154)

フィリピンを知るための64章 (エリア・スタディーズ154)

 

複数の書き手が様々なテーマから一つの国を論じたシリーズの一つ。(日本を含む)他国による何度かの占領をはじめとしたフィリピンの歴史や社会問題、料理や消費性向などの文化や経済、最終章では日本との繋がりまで、一通りを浚える。お仕事に必要…というほどではなく個人的な興味が半分以上で読んだが、概ね楽しめた。書き手によって章の質に差があるのはこの手の本の宿命なので、こちらが気をつけて読むほかない。「フィリピンのビジネス英語力は156ヶ国中で世界一!」とほぼそのまま書かれていたのには英米は?調査方法は?と呆れた。

2017/11/30読了

 

序盤の構成から意表を突かれる。思ったよりずっと私小説で、読みながら田中小実昌の『ポロポロ』を想起した。読者は物語を外から見ることを余儀なくされるがゆえに、本作における時間旅行者というテーマはあくまでSFからの借用物にすぎないのだが、戦争やその周辺の人間を淡々と描くのにこれほど誂え向きの道具もあるまいと思わせられる。ヴォネガットの創作を読むのは『タイタンの妖女』『猫のゆりかご』に次いで3冊目。ハヤカワSFの電書半額セールのおかげで、「いつかは読まねばならない本リスト」からこのたびめでたく除外されたのだった。

2017/11/30読了

 

移動祝祭日 (新潮文庫)

移動祝祭日 (新潮文庫)

 

原書を読む前にわざわざもう一度買い直して再読。案の定ほとんど忘れていて驚く。初読時は、とにかく青年時代を描く筆致のみずみずしさをまばゆく感じたものだったが、今読むとある種の哀れっぽさからくる滑稽さをも感じないでもない(その後の顛末を思うと不謹慎なのだが)。愛人を作ったことがハドリーとの、そしてパリ時代との離別を招くのだが、自業自得にもかかわらず妙に言い訳がましく被害者気取りで、そのあたりにも、甘やかな夢たる若い時代を振り返る晩年の作家の、救いがたい絶望さえもにじむようで。ともあれ、好きな本には変わりなし。

2017/11/20

 

When We Were Orphans

When We Were Orphans

 

回想小説、探偵小説、そして母恋いの小説と分類したくなる長篇。ある重要人物との再会には違和感が否めなかったが、両親との邂逅を試みる「儀式」に彼は必要なパーツであること、これが「かたりの小説」であることを考えると納得した。回想の1930年代ロンドンの二階建てバス、幼少期の小さな冒険、上海バンドなどに心くすぐられ、それだけ最終的に明かされる、両親失踪の真相や主人公が自ら獲得したと信じていたものの正体が残酷で堪えた。英語的には、回想の形を取るためit...that主体で進み、読みやすい。時系列の混乱に注意。

2017/11/14読了

 

2017年12月(10冊)

 

先生のお庭番 (徳間文庫)

先生のお庭番 (徳間文庫)

 

江戸時代の長崎。大店の植木屋で働く熊吉は、兄弟子たちから押しつけられる形で出島のある屋敷での仕事へ通いはじめる。仕事とは薬草園造り、そして屋敷の住人は蘭方医のしぼると先生。物語全体の構成も良かったが、特に熊吉の目を通して描写される登場人物の植物愛や学問への情熱、お滝や高野長英など実在人物のキャラクターがとても魅力的だった。 『紅茶スパイ』の読後なので、熊吉が考案したのはウォードの箱(的なもの)だなとか、『紅茶~』のフォーチュンは本書には登場しないけど日本でシーボルトに会ったんだっけなどと楽しんで読んだ。

2017/12/30読了

 

ともかく全ての項目を要約しノートに取り終えたので、これを以て読了とする。古今東西の発想法の紹介が本書の主な内容ではあるが、だからといってクリエイティブで生業う人だけの物というわけでもなく、例えばさくらんぼ分割法などはタスク管理、スケジュールの立て方や実践などにも有用だったりする。つまり、およそ人の活動というもので全く創造的でないもの、発想する余地のないものというものはほぼないのだとも言える(例えば本の読み方ひとつにしてもそう)。年内の「読んでる本」消化キャンペーン第2弾。

2017/12/28読了

 

タイを知るための72章【第2版】 (エリア・スタディーズ30)

タイを知るための72章【第2版】 (エリア・スタディーズ30)

 

タイにはうるち米(炊飯)圏ともち米(蒸し飯)圏があること、チェンマイは京都をハイブリッドにしたような街だということ、93%は仏教徒だがムスリムキリシタンも数%いること、仏教徒の中には華人も多数いて独自の宗教文化を擁していること、カンボジアとの長く続く領土紛争などを初めて知った。タイは本文中のことばを借りれば「中進国」で、先進国を自称する我々はついかの国の人たちを「純朴で、温かく、信仰心に篤い」などと一言でまとめがちなのだが、それもタイ王室が喧伝し都市部の人々が信じている幻想では、という視点が一番の収穫。

2017/12/23読了

 

英検1級語彙・イディオム問題500 (英検分野別ターゲット)

英検1級語彙・イディオム問題500 (英検分野別ターゲット)

 

年内の「読んでる本」消化キャンペーン第一弾。正答率はともかく、ひとまず模試以外は一周。別の語彙本を来年10ヶ月くらいで仕上げてからいずれ二周目をやる。

2017/12/20読了

 

プレイヤー・ピアノ (ハヤカワ文庫SF)

プレイヤー・ピアノ (ハヤカワ文庫SF)

 

帰りのバスの灯りが暗いので、その時間は紙の本でなく電書を読むことに決め、これはその2冊目。しかしあまりの面白さに最後の方は家に帰り着いてからも読み続け、読み終えたのは今朝のあかるいバスの中だった。IQで序列された人々、自動機械化された生活、落伍者の末路は軍人かドジ終点部隊(公共工事請負)というアメリカで、持てる者たるポールの違和感は徐々に膨らみ、ついに秘密結社に担ぎ出されるが…。示唆に富むフレーズも多くあり、皮肉で妙に明るい結末が深く印象に残る。あとがきには著者のGE社での日々がモチーフとあり、笑った。

2017/12/12読了

 

例えば中国語の発音や語彙が地域によって違うように、スペイン語にも国や地域で違いがあるというのは、うっすら一年くらい独学している身には知識としてあったが、著者の留学体験としてこのように「メキシコのスペイン語」の具体例を挙げられると、本当だったんだ、こんなに違うんだ!と驚く。英語翻訳者ならではの学習の動機もいい。全体に軽妙で、さらっと読もうと思えば読めるが、メキシコの歴史への真摯な言及あり、スペイン語文法解説あり、ラテンアメリカ文学の紹介ありで、緩急自在でもある。巻末の文献リストや単語索引も得した気分になる。

2017/12/4読了

 

小島信夫の寄稿が良かった。ウイリアムサローヤンの創作心得。「O・ヘンリーのような落ちのあるものは書かない」等々。堀江敏幸池内紀の対談も良かった。「浪曲師朝日丸のこと」は以前どこかで読んだことある。何かのアンソロジーだろうか。

2017/12/2読了

 

田中小実昌 (KAWADE夢ムック文藝別冊)

田中小実昌 (KAWADE夢ムック文藝別冊)

 

2017/12/2読了

 

ギリシャ語の時間 (韓国文学のオクリモノ)

ギリシャ語の時間 (韓国文学のオクリモノ)

 

死語を媒介とした再生の物語、というと些か陳腐だが、これは着想の勝利という他ない。ことばへの過剰な感受性から失語症となった女は、経験から未知の言語との邂逅がそれを癒すと信じ、カルチャースクールで古典ギリシャ語を受講する。講師の男は徐々に視力を失いつつあり、それを他人へは隠しながらも静かに受容しようとしている。薄い膜を隔てて世界と接しているような彼らが、偶然の事故からふれあうという すぐれたプロット。ボルヘスへのオマージュが随所で、主要人物二人が妙齢でなく中年という点、物語を寓話たらしめない生活感も良かった。

2017/12/2読了

 

 

ヒトは食べられて進化した

ヒトは食べられて進化した

 

かつての狩猟仮説(ヒトの祖先は能動的に他の生物を狩って食料とし、攻撃的で仲間同士でさえ闘争した)がもたらしたイメージ「狩るヒト」と真っ向から相対する「狩られるヒト」論を例証する一冊。二足でぺたぺた歩く脆弱なヒトの祖先は、主に大型ネコ科にとって恰好の獲物であったが、彼らは食べられる(狩られる)ことによって防衛手段として共同体での生活を覚え、知能を獲得していった…というのが「狩られるヒト」説の主旨。中盤は哺乳類・爬虫類・猛禽類による霊長類(ヒト含む)「食べられ」の事例が豊富。くどい箇所も多いが面白かった。

2017/12/2読了

 

この時田中小実昌づいているのは、前月読んだヴォネガットスローターハウス5と『ポロポロ』が全くの無関係ではないように思われて「コミさんは『スローターハウス5』を読んでいたのかな?」と文学徒の血が騒ぎ図書館で調べものをしていたからです。結局ヴォネガットの別の作品についての解説エッセイしか見つからず、この件は保留になっています。

 

それから、日頃読書していると買ってちょっと読み始めたものの進まず放置する本が溜まっていくと思うのですが、去年の12月はその年のそんな「読んでいる本」に入れっぱなしの本を消化する月とする試みをやってみたらけっこう上手くいったので、今年もそれをやろうかと思っています。煤払い的な。新年の読書をすっきり始められる気がするのでおすすめです。

6~7月に読んだ本

6月の読書メーター
読んだ本の数:3
読んだページ数:874
ナイス数:13

イスラーム入門 文明の共存を考えるための99の扉 (集英社新書)イスラーム入門 文明の共存を考えるための99の扉 (集英社新書)感想
面白く読んだ。イスラーム世界について、日本では必要以上に異化されがちだと感じる。例えば「神のみぞ知る」と訳されることもある「インシャーアッラー」、俗に言われる責任逃れの常套句というよりは「自分一人で何もかも成し遂げられると思うな」という自戒のフレーズであり、そう考えると「人事を尽くして天命を待つ」とも換言でき、急に親しさを覚えてしまう。通勤中に一周しただけなので、用語や人名などはまだきちんと把握できていない。二周目はノートに図示しながら読んでみようかな。
読了日:06月09日 著者:中田 考

アブサロム、アブサロム!(上) (講談社文芸文庫)アブサロム、アブサロム!(上) (講談社文芸文庫)感想
第二章まではしんどかったけど、そのあとだんだん面白くなっていった。樋口一葉かよ!みたいな一文の長さ、原文もこんなんなんだろうなと想像しつつ。様々な人物による語り=騙りの体裁を取っているが、今後新たな語り手にバトンが渡るのだろうか。下巻も楽しみ。
読了日:06月21日 著者:ウィリアム・フォークナー

基礎から学ぶ 音声学講義基礎から学ぶ 音声学講義感想
とりあえず今の自分に必要そうだった17章まで読んだので、一応の読了とする。これを読み始めた当初の狙いは、英語をなめらかに発音するための手がかりを得ることだったが、実際それ以上の収穫があった。たとえば中国語の一部の音の、子音の舌の位置を勘違いしていたことがわかったり、発音はまるきりノーマークだったスペイン語の音声について知れたりなど。今は破擦音がきれいに出るように練習しているところ。
読了日:06月30日 著者:加藤 重広,安藤 智子


7月の読書メーター
読んだ本の数:8
読んだページ数:2386
ナイス数:40

役に立たない読書 (インターナショナル新書)役に立たない読書 (インターナショナル新書)感想
すべてに首肯したわけではないが、面白かった。『学文(がくもん)の置き所、臍の下よし、鼻の先わるし』いい言葉だな。読書は基本的に自分だけのいとなみなので、すぐに人から言われたとおりにあれこれできるものでもないし、それにしたがう必要もない。本書に対してもそれは同じ。自分も、読書より面白いことがあれば明日にでもやめてしまうかもしれない。でもそのくらいでいいんだとおもう。見返りを求める行為は基本的に報われないので。
読了日:07月02日 著者:林 望

アブサロム、アブサロム!(下) (講談社文芸文庫)アブサロム、アブサロム!(下) (講談社文芸文庫)感想
上巻でフォークナー文体を受け入れる準備が整ったので、下巻はだいぶ読みやすかった。上巻で複数の人物から語られたサトペンやジェファソンの歴史が、下巻では主たる語り手のクェンティンと学友によって自在に語られ、そこから新たな物語が立ち現れてくる。最後の系譜、年譜と対照させると面白いが、その系譜、年譜は「真実」だと果たして言えるのか?などと考えるのもまた楽しい。
読了日:07月04日 著者:ウィリアム・フォークナー

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たちヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち感想
前書きにあるように、本書はごく私的で主観的な回想記だ。しかし私的な随筆であっても、その書き手が十分な知性と論理性を備えている時、そこには並ならぬ価値が宿ることになる(それこそが読まれるべきエッセイの条件だと私は思っている)。そういうわけで、読み始めの印象は
少し予想外だったものの、「ケンタッキーのがばいばあちゃん」的中盤を経て至る自己実現と同時に浮き彫りになる周囲とのギャップ、生まれ育ったコミュニティとの心理的隔たりなどの鮮明な描写は面白くも切なくもあった。地方出身者は多少身につまされることもあるはず。
読了日:07月08日 著者:J.D.ヴァンス

現代中国経営者列伝 (星海社新書)現代中国経営者列伝 (星海社新書)感想
あとがきにある「好きか嫌いかではなく、中国は『面白い』」という著者の弁に大きく同意。本書に登場する経営者達の軌跡は多分に誇張も含まれているだろうけど、破天荒なエピソードの多くに「中国ならさもありなん」と思わされてしまう。コラムや本編の随所に見られる最新(刊行時)トピックも有益。都市/農村戸籍の廃止、著作権保護への急速な動きなど、中国も今なお着々と変化している。個人的には、HUAWEIへの好感度が前より上がった。
読了日:07月12日 著者:高口 康太

その他の外国語 エトセトラ (ちくま文庫)その他の外国語 エトセトラ (ちくま文庫)感想
現代書館から出ていた同名書籍の文庫化ということだが、そちらを未読だったので新鮮に楽しんだ。とはいえ、単行本収録分の文章は今の自分には違和感を覚えるくだりも少なくなかった。氏の他の著作と既視感がある、自称変わり者アピールが鼻につく、という向きには、第四章のチェコ講演旅行記だけでもぜひ読んでいただきたい。
読了日:07月21日 著者:黒田 龍之助

リオデジャネイロに降る雪――祭りと郷愁をめぐる断想リオデジャネイロに降る雪――祭りと郷愁をめぐる断想感想
昔大学のゼミの指導教官から言われた「巧い文章が書けるということは、論文を書くにあたっても何よりの強みになる」という言葉を思い出した。著者はエモい論文を書くことでも(一部の界隈で)知られているが、やはりというかなんというか、こうした散文では本領発揮というところだろうか。底抜けに明るいリオの風景を愛着たっぷりに描写しつつ、それが回想録という点によって愛着は別の色、つまり本書で幾度も登場する「サウダージ(哀愁)」をも纏うことになる。引用される数々の詩や紹介される楽曲からイメージが何層にも広がるのもまた愉しい。
読了日:07月23日 著者:福嶋 伸洋

Murder on the Orient Express (Poirot)Murder on the Orient Express (Poirot)感想
買って放置していたものの、実写映画リメイク版を製作中と知り再挑戦。鑑賞前に読み終われればと気長に取り組むつもりだったけど、面白くて思ったよりずっと早く読み終わってしまった。原書の効果かどうかは判らないが、読み進むにつれ「この物語を何の前情報も無しに享受できた人々はなんて幸せだったんだろう!」と思い、当時の書評などを読んでみたくなった。さすがに粗筋や結末は知っていたが、幕切れがこんなにあっさりだとは思わず驚いた。現代だとPC的にアウトよね、という民族主義的、性差別的な描写はかなり多く、時代だなあ、と。
読了日:07月30日 著者:Agatha Christie

オリエント急行の殺人 (創元推理文庫)オリエント急行の殺人 (創元推理文庫)感想
ペーパーバックで読んだ内容の細部確認用に古本屋で購入し、追いかけるようにしてこちらも読了。何しろ古い…。保母だとすべきnurseが看護婦とされていたり、原書でかなりテンションが上がった場面も説明が無さすぎて、これ当時の人は置いてきぼりだったのでは?と心配になったり。自分は普段翻訳ものの小説をあまり読まないのでこれが古さゆえかどうかはよくわからないが、作中の欧米人が「おじゃんになる」とか「小田原評定」とか慣用句使ってるのを読むと奇妙な感じがして気が散ってしまう…。
読了日:07月30日 著者:アガサ・クリスティ

読書メーター



通勤時間に本を読む習慣がついたので、先月はよく本を読みました。
先々月やそれより前は、どちらかといえば英語や中国語の勉強をすることが多かったのですが、語学の勉強はやっぱり好きなだけ声を出せる環境でするのが一番だとこのごろ思っているので、勉強は家でやり、それ以外の場所、交通機関の中や、朝の始業前や昼休みの会社では本を読むことが多いです。この頃は。

最近の語学の勉強について。
英語や中国語にはシャドーイング用の教材を使い、それ以外はDuolingoなどのアプリでマイペースに勉強してます。前者は、シャドーイング用音声教材を通勤時に聞きながら口を動かしてみるというようなことをこの前まではしていたものの、実際に音声に出す訓練とは似て非なるものだと気づいたので最近はそれはあまりやっておらず、先に書いたように家でやる時間をなるべく確保できるように努めているところです。結局スピーキングというのは口の形+息の振動が具現化したものなので、息=声量が不十分な状態での口パクのトレーニングではあまり意味がないのではないかという結論に至りました。
英中以外では、最近は広東語とポルトガル語を物見遊山的に楽しんでいます。

港へ(日記+短歌の目3月の自作ふりかえり)

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3連休中日の昨日、天気が良かったので博多港へ遊びに行きました。

先月から2年ぶりの会社勤めをしています。
はじめての商社、はじめての貿易のお仕事です。

さいわいにも、いまのところ毎日楽しく働いているのですが、ようやく全体の流れが把握できるようになってみると、オフィスの中でただ座ってソフト操作で右から左へ商品を流したり、書類を取り交わしたりするだけの業務をもう少しリアルに感じたいと思うようになりました。

そういうわけで、空港は利用でもそれ以外でも何度となく使っているので、はじめて港へやってきたのです。
♪船に乗るわけじゃなく~ というやつです。


スピッツ / みなと

もちろん物流が動いているようすを目の当たりにできれば一番よかったのですが、基本的に港の倉庫や船会社などは土日はお休み。
でも、港がまったくお休みというわけではなく、韓国やフィリピン行きの客船、クルーズ船、そして玄界島壱岐対馬への往来をする市営の船やフェリーなどが運航していました。

壱岐対馬行きフェリーなどは、博多港を真夜中に発って夜明け前に着くという便などもあって、どんな人達が使っているのかな、と停泊するフェリーを見ていると、朝から出掛けて一釣り終えたらしき格好の人々がたくさん降りてきて、納得!

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ガラス越しに撮ったので、この写真だけ青っぽくなってます。

海上保安庁や福岡県警の船も停泊していました。

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商業施設「博多ベイサイドプレイス」ではちょうどイベントをやっていて、小さい子供連れの家族がたくさんいました。
空港とか港とか、大きいのりものがたくさん見れるところは嬉しいだろうなあ。

神戸のハーバーランドほど大規模ではないものの、楽しめました。次回来たときは、取れ取れのお魚の寿司バイキングを食べてみたい。

短歌の目ふりかえり

今回のお出かけで、「お仕事のことをじかに感じてみる」ということの他に、もう一つの目的がありました。
それは、まだ作っていなかった今月の短歌の目の短歌を、この一日を使って作ってみるということです。

kn.hatenablog.jp

旅行詠、ということになるんでしょうか。旅行というほど遠くへ出かけたわけではないけれど。

以下、一部解説です。

わかばきらきら光る那珂川のここは最果て見晴らせば海

北原白秋の「草わかば色鉛筆の赤き粉の散るがいとしく寝て削るなり」が中学生のころくらいからずっと好きなので、いつか「草わかば」で始まる短歌を作ってみたいと思っていました。

それで、本当は、港まではバスで行って、港を離れる際に那珂川沿いを歩いて天神へ遊びに行ったので、結句を「振り向けば海」にしてしばらく考えていたのですが、テーマ詠一首目だし始まりを予感させるようなものがいいなあと思って、実際歩いたルートとは逆向きにしてみました。

あまたの人あまたの舌を操ってみなとは異国へひらかれたドア

language(言語)の語源はラテン語のlingua(舌)だったりします。
港を意味するportも、もとはラテン語で門を表すportaで、現代イタリア語でもドアや扉を指す語です。
韓国語や中国語、港の雑踏は色々な言語が混じっていてにぎやかでした。
江戸の関所もこんな感じだったのかもなどと思いました。

百千鳥ゆきかう人の三連休中日は等しく午刻となりぬ

春の季語「百千鳥」を使ってみたくて。
あと、今回はどこかに「春昼後刻」というフレーズを入れた歌を作ったろうと思っていたんですが、どうにもズバッと決まらず、この辺で手を打ちました。

ある人は悪い心を海中へ「放て」と言った「捨てろ」ではなく

JKの頃にドはまりしていた尾崎放哉の句「何か求むる心海へ放つ」より。
語呂が良くてそう書いたけど、私自身は「何か求むる心」は悪いものでもないと思っています。

限りある生とて選ばぬままの書がふと甦る未知の地踏めば

沖給仕として生涯を送った独学者、港の哲人であるエリック・ホッファーのことが気になっているうちにリバイバル的に本が出たりしてちょっとしたブームみたいになってしまい、嫌気がさして読まないことにしていたのですが(自分のこういうところは本当に良くない)、港でそのことを思い出して、今が彼を読む好機なのでは、という考えに至りました。
一度捨てた書を拾うチャンスはけっこうあるのかも。



春昼後刻

春昼後刻

尾崎放哉全句集 (ちくま文庫)

尾崎放哉全句集 (ちくま文庫)

短歌の目3月に参加いたします。


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1.草

 

わかばきらきら光る那珂川のここは最果て見晴らせば海

 

2.あま

 

あまたの人あまたの舌を操ってみなとは異国へひらかれたドア

 

3.ぼたん

 

ふなびとも船みる子らのちちははも心にぼたんからくさの春

 

4.鳥

 

 百千鳥ゆきかう人の三連休中日はひとしく午刻となりぬ

 

5.雷

 

コンテナの積まれて旅を待つさまは雷おこしか田の字に似たり

 

テーマ詠「捨」

 

ある人は悪い心を海中へ「放て」と言った「捨てろ」ではなく

 

限りある生とて選ばぬままの書がふと甦る未知の地踏めば

 

2月の短歌の目、自作のふりかえり(解題) +読書メモなど

tankanome.hateblo.jp
kn.hatenablog.jp

元ネタがあるものだけ、簡単に種明かしというか解説を。

鬼は外出て行ったきりふるさとの人ただ老いてゆく節分会(せつぶんえ)

好きな寺山修司の短歌、「かくれ鬼の鬼とかれざるまま老いて誰を探しにくる村祭り*1」から連想しました。

たましひがちょっと抜け出ては戻るやうにシ♭ドレソレドシ♭鍵が波打つ


Debussy - Rêverie


ここ数か月の「短歌の目」では、あんまり自分で納得のいく出来のものが詠めなかったり、思いつくのにやたらと時間がかかったり、かかりすぎて締め切りに間に合わずに参加できなかったりと散々だったのですが、今月はぱっぱっと出来ました。トータルでも一時間かからなかったくらい。自分で好きだなと思うものも多くて、満足です。畢竟ことばとことばの連なりは化学反応のようなもので、長考してもいいものが出来ない時は出来ないし、いい組み合わせを引き当てられるのに、かけた時間はあまり関係しないのかもしれません。

別のエントリで書こうと思って準備中ですが、いい作用をもたらしたものとしては自分の環境の変化がありそうです。できるだけストレスのない生活を、と内向きに、守りに徹していたのをやめたのです。あまりにもストレスのない生活は、同時に刺激も足りなさすぎたのかなと反省しました。



それから、この本を読んだことも、おそらく良い作用をもたらしました。

詩と短歌と俳句を選んでいるのは、それぞれ池澤夏樹氏、穂村弘氏、小澤實氏です。知っているものも知らないものもあり、楽しめました。
特に短歌でいえば、個人的に印象的だったのは次の歌です。

吾木香すすきかるかや秋くさのさびしききはみ君におくらむ

この短歌は、林芙美子の短編「清貧の書」の作中に、とても印象的に挿入されていたことから、ずっと覚えていた大好きな一首だったのですが、この本で初めて若山牧水の作であることを知りました。

清貧の書

清貧の書

「清貧の書」は、短くてすぐに読める、しみじみと佳い作品ですので、未読の方はぜひ。
青空文庫のWeb版はこちらから。


他に『近現代詩歌』に収められている短歌で好きだったものおよび作者は、以下に。

わが胸の鼓のひびきたうたらりたうたうたらり酔へば楽しき 吉井勇

美しき亡命客のさみえるに薄茶立てつつ外(と)は春の雨 岡本かの子

シルレア紀の地層は杳(とほ)きそのかみを海の蠍の我も棲みけむ 明石海人

春がすみいよよ濃くなる真昼間のなにも見えねば大和と思へ 前川佐美雄

*1:私はこれで覚えていたのですが、「かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて~」「かくれんぼ鬼のままにて老いたれば~」と、上の句が微妙に違うバージョンもあるようです。本で確かめようにも、売ってしまったのか見当たらず…。