つのへび日記

こなやぎのブログです。手仕事、語学、短歌、読書や映画など。

『悲しみのミルク』2008/ペルー/97分

どちらかと言うと、難しい映画の部類に入ってしまうかもしれない。ただし一般にいう「難解な映画」=構成が複雑であるとか科白や演出の意図が容易に判りかねる、というわけではなくて、説明的な描写をほとんど行わないために物語を完全に掌握しづらいという「難しい」で、だからこの映画はぜひ劇場で鑑賞ののち、パンフレット購入を強くおすすめしたい。といっても、こちら熊本では明後日25日まで、それから山形と東京早稲田が続き、公開は終了のよう。どこかでアンコール上映などが今後もあればいいのだけれど…。

あらすじは以下の通り。ネタバレしますので差し支えのある方はすっぽり読み飛ばして下さい。


少女ファウスタは母から彼女がまだ胎内にいた頃のゲリラ襲撃事件――父は殺され、母は身重のまま凌辱された――の話を聞かされており、そのせいで美しく成長した今なお常にひどく怯え、一人で出歩くことさえままならない。しかも護身のため体内にジャガイモを入れ、それが発芽して彼女自身を傷つけていてもそのままにしている。
その母が死に、同じ集落に住む叔父は娘の結婚を控えており経済的に余裕がないため、手ずから埋葬してしまおうとする。どうしても故郷の村に埋葬させたいと願うファウスタは、費用稼ぎのために裕福な女ピアニストの元でメイド仕えをすることに。発表会が迫っているのに新曲が出来ないピアニストは、真珠一粒と引き換えに彼女の歌を一つ聴かせてくれるよう頼む。
同じ邸宅に出入りする庭師との交流で、故郷の村での楽しい暮らしも思い出し、彼女の心は徐々に外の世界へ開放されつつあったが、ピアニストはファウスタの歌を剽窃し真珠の約束を果たさぬまま彼女を屋敷から追い出す。従姉妹の結婚式の夜、盛装のまま村から飛び出したファウスタは屋敷に忍び込み、彼女の取り分を奪還し、同時に母から受け継いだ呪縛からも訣別する――。

物語はむしろ至って明快。挫折した主人公→外界の変化→主人公自身の変化→悲劇→カタルシス→大団円、とこう書くと王道の主人公成長物語なのだが、先に述べたとおりの徹底的に削ぎ落とされ抑制された視覚表現、無駄(無理)のない科白、ジャガイモや庭の花や真珠などの美しくて象徴的なオブジェの配置、ファウスタの口ずさむさまざまな節回しのアカペラの歌など、ひとつひとつ取っても面白い表現方法が幾つにも重なっていて、ドラマにも小説にも代替不可能な「映画らしい映画」を見た!という思いがした。今年見た中では、『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』以来の感慨。

この映画でもう一つ特筆すべきなのは、劇中で使われている言語。富裕層であるピアニストはスペイン語を、ファウスタなどの集落の人間はケチュア語を話している(らしい)。ファウスタの歌もケチュア語なので、彼女が真珠と引き換えにする最初の歌が、人魚と作曲家の契約を歌ったものであり彼女の苦渋の決断がそこに表われていても(おそらくは)気付いていない。そのうわべのメロディーのみを買い換えたばかりの瀟洒なピアノで簒奪するのみだ。もちろんこうした言語の差異に自分が気付くはずがなく、パンフレットを読んで、こういう鑑賞の仕方ができればなあと悔しがったのみであったが。

ひどく長く書いたが、これは一週間限定上映なんかであってはいけない映画だ、と言いたかった。なんでも東京で大コケしたために後続の地方単館が怖気づいてしまい、どこでも上映期間が短かったらしく、じっさい私自身まだ関西に住んでいた今年夏、大阪でも京都でも都合が合わず泣く泣く見逃してしまい、今週ようやく見ることが出来たのだった。一つの映画の上映がたった一週間というのは、勤め人には大変厳しいスケジュールだと思う。どうせどれやってもガラガラなのだから、ぐらいの開き直りで、中央での評価うんぬんではなく上映館のスタッフが観て佳いと思った映画を多く上映してほしいと強く思った。