つのへび日記

こなやぎのブログです。手仕事、語学、短歌、読書や映画など。

未来に期待するということ(2022/1/10日記)

この年末年始はライブ配信高校サッカーを観ていた。

10年超ぶりにサッカーの試合を観戦して、その楽しさを思い出すことができたのも嬉しかったし、優勝校の青森山田はもちろんのこと、どの学校も純粋にプレーが上手でひたすら感心してしまった。
いまの情報へのアクセシビリティを考えてみると、世界レベルのプレーを研究するにしても、効率のいい練習や食事メニューを考えるにしても格段に「開かれている」のだから、諸々のアップデートは当然といえばそうなのだけれども。とはいえ、青森山田のそれは(審判へのアピールや後半の時間の稼ぎ方など含め)良くも悪くも正真正銘の超高校級だった。サッカーの内容以前に、(ユニフォームのデザインがそれを強調しているというのもあるけれど)選手全員がすごい筋肉の付き方をしているのがとにかく印象的で(特に大腿四頭筋!)、練習量、リソースの豊富さや注ぎ込み方、フィジカルの強さなどが全部表れているなと驚嘆した。

私は20代後半くらいから10年ほど、世の中これ以上良くなる兆しがないなと漠然と思って生きていた。だから子どもも欲しくなかったし貯金も大してしなかったし、未来について特に何も期待していなかった。勉強だけは趣味で続けていたけれど、別に何の担保がこの先あるわけでもなく、本当に単なる暇つぶしの中でマシなアクティビティだからやってるという感じで。読書も他の趣味も同じで、特に何を期待しているのでもなかった。

考え方が少し変わったのが、3年前に甥っ子が立て続けにふたり生まれたときだった。そのうち一人は、生後2か月のときに週末に一泊だけ育児のヘルプに行った。実家から戻って週明けの出社日に、私は会社の先輩同僚に興奮して言った。「赤ちゃんって凄いですね!あの子の未来のために頑張っていい世の中にしようって思いました!」
先輩からは「え、そっち?」的な反応を笑いとともに頂いたように思う。だけどそれは心からの感想だった。「赤ちゃんかわいいですね、子育てっていいものですね」などが(話し相手が3人の子どもの育休や時短勤務を経験した年上の女性会社員である点を考慮しても)模範的な感想だったのかもしれないが、私には週末ちょっと人手不足を埋めただけの、ほぼいいとこ取りの育児介助だけでそういう軽薄な感想をさらさら言えるような社会性はなかったし、そう心から思えるほどチョロくもなかった。
だけど、自分がたとえこの先いいことがなく、成長もなく、ただ下降線をたどっていくだけだとしても、未来というのは他の人間にも私にも存在していて、それは善いものでなければならないのだ、ということがその時ようやくわかったのだった。

きょう青森山田大津高校の決勝戦を観ながら、その時のことを少し思い出した。画面の向こうで国立競技場を走り回る男の子たちは私より約20歳年下で、まごうことなき次世代の人間で、未来は善いものだと(たぶん)信じているし、それと同時に、20年前高校生だった私たちにそのことを証明している。だから私もそう信じて、過去や現在の自分に、そのことを証明していきたいと思った。