いずれきちんと整理してまとめてから、ここにも書こうと思っているのだけど、先月下旬に新型コロナウイルスのいわゆる第8波というビッグウェーブにしっかり乗ってしまった。
特定の日に出勤していた同じ課の内勤メンバーも、ほぼ同時期に軒並み発熱や陽性判定を受けた。
自分の部署に限って言えば、単発的な罹患者(子どもの学校からの感染や家族間など)はこれまでにもちらほら出ていたけど、そこから社内への感染が広がるということは今までなく、こんなふうに複数の人数が同時に感染するのは初めてのことだった。
マスク着用、パーテーション、空気清浄機、デスクでの個食など、我々がこの3年弱のあいだ講じてきた対策も、今の変異株の前には無力なのだな……と思い知らされた。
むろん、一旦持ち込まれたウイルスに対して無力だったとはいえ、無意味だとは思っていないので、感染予防行動はこれまで通りおこなっていくつもりではある。
ただ、「やっぱりなる時にはなるんだなー」というのが正直な感想だ。
自宅療養の解除については、原則として下記のとおりとしています。
<有症状者>
発症日から7日間経過し、かつ、症状軽快後24時間経過した場合には、8日目から解除されます。
ただし、10日間が経過するまでは、検温などご自身による健康状態の確認や、リスクの高い場所の利用や会食等を避けること、マスクを着用することなど感染対策の徹底をお願いします。
(「自宅療養をされる皆様へ - 福岡県庁ホームページ」より)
上記にのっとり、一週間の療養/在宅勤務期間を経て出社を再開してからも、なるべく社会生活を最小限に抑えて会社と家の往復だけで月末・月初の週を過ごした。
とっくに平熱に戻り、仕事に差し支えない体調になり、10日間を過ぎてもなお、喉の違和感や咳はしつこく残るので、私を含め、オフィスには常に誰かしらの咳込み、咳払いの音がしている。
外食もせずまっすぐ帰る。
帰ったら、何をする気にもなれず最低限の家事の他は無為に時間を過ごす。
仕事をするためだけに生きている、仕事をするためだけに治癒した、そんな心持ち。
当然、気が滅入る。くさくさする。
……というような心境を先輩に吐露したら、「なんでよ~、おうち時間満喫したらいいやん。面白かった本明日持っていくよ☺」と屈託なく励まされた。
そして本当に、次の日に本を貸してくれた。
ありがたく借りたけれど、おそらくすぐには読み終われない。
読むのは速い方だけれど、本のページを開く気力がいつ起こるか確約できないのが正直なところだ。
だから、自分も何かお返しに本を貸すことにした。
私が本を貸したところで、私が本を読み始めたくなるかどうかはまた別の話だし、かえって早々と自分の本を読み終わって返却されるとそれはそれで何もしないより気まずいかもしれなかったが、こちらも何かアクションを起こすことがその時は大事な気がしたし、その行動が私の読書へのトリガーとして機能するかもしれない、とも思った。
とはいえ、最近はほぼ電子書籍で読んでいるので、貸せる本は少ない。
国内フィクション読みの彼女なので、自身では手に取らなさそうなものがいいと思い、本棚を見て『千種創一歌集 砂丘律』にした。
アラビアに雪降らぬゆえただ一語 ثلج (サルジュ)と呼ばれる雪も氷も
この一首がダントツに有名で、私もこの短歌をきっかけに本書を購入したのだけれど、以下の歌も気に入っている。
舟が寄り添ったときだけ桟橋は橋だから君、今しかないよ
鯉がみな口をこちらに向けていて僕も一種の筒なんだろう
虐殺を件で数えるさみしさにあんなに月は欠けていたっけ
【自爆テロ百人死亡】新聞に相も変わらず焼き芋くるむ
朝、出勤してきた先輩に「お返しの本、持ってきました。あんまりご自分だと読まれなさそうなものにしようと思って、中東在住の方の現代歌集なんですけど」と渡すと、ちょうど気持ちがカタールに飛んで行ってるとこだから嬉しい、ありがとうと笑われて、出勤間際にネットのニュースで見た「日本代表、スペインに勝利」の見出しを思い出す。*1
思いがけなく「時流に乗った選書をする人」になってしまって気恥ずかしかったが、周りに『砂丘律』を布教したいという方は、カタールW杯が開催中の今は好機かもしれない。
最近ちくま文庫に収録されて、手に取りやすくなっている。
読書という行為はそれ自体ほうっておいても個人的な営みであるので、個人所有のタブレットに囲っているとますます「閉じて」しまう。
個人的な営みである読書に社交を絡めるなど不純である、という向きも否定はしないが、私のような内向的な人間は、むしろ最低限の社会性を確保するために「人に貸す可能性がゼロではない本」は紙で所有する、というのを意識的におこなってもいいかもしれないな、と思った。