つのへび日記

こなやぎのブログです。手仕事、語学、短歌、読書や映画など。

ごく小規模なハーブ栽培の記録(~2週目)追記あり

当面金欠でなおかつ時間だけはあるので、趣味と実益を兼ねてハーブ栽培を試みました。
毎日それらの様子を撮っているのですが、続けて見られたら面白いかなと思って、2週間ごとくらいにこうしてまとめていくことにします。

というわけで、それぞれの植物についてそれなりに調べたことを以下簡潔に書いておきます。

バジル:一年草。気温20度以上で発芽。春に種まき~晩秋まで収穫できる。草丈が20センチほどまで伸びたら摘心して枝を増やす(こうすることで葉っぱの収穫量が増える)。風通しが大事なので、混み合う下の葉は切り落とす。日光が大好きだけど乾燥には弱いので、日当たりのいいところで育て、水は乾かないようたっぷりあげる。成長したら液体肥料を週に一回与える。アブラムシ注意。

パクチー:一年草。種まきは春か秋。花をつけるのは夏だけなので、春まきは開花後の秋には枯れてしまう。寒さに強く冬を越せるので、秋まきのほうが長く収穫できる。水はこまめにたっぷり、ただし根腐れしやすいので注意。肥料は、春まきの場合必要なし(生育サイクルが短いので)。秋まきは、越冬後の春に即効性の化成肥料を与える。

ルッコラ:一年草。発芽しやすいので、真夏と真冬以外いつでも種まき可。アルカリ性の肥沃な土を好む。花を咲かせると葉はとうがたって硬くなり、葉の量も増えないので、つぼみが出来る前に茎ごと摘み取ると、おいしい葉をたくさん収穫できる。日当たりが良すぎてもやはり葉が硬くなるので、真夏は明るい日陰で育てる。肥料は1000倍希釈の液体肥料を週一回。アブラムシ・アオムシ注意。

参照したのは、これらのサイトです。
http://kateisaiennkotu.com/
http://www.yasashi.info/index.html

使ったキットはこちら。東急ハンズで買いました。

ルッコラだけ出てこなかった…。エコハーブという商品名だった気がしますが。代わりに同じメーカーのを貼っておこう。
育てるグリーンペット ベジ ルッコラ GD-44503

育てるグリーンペット ベジ ルッコラ GD-44503

以下、1日目から14日までの記録。













Twitter貼り付け」で自分のツイートを出したけど、なぜかとびとびにしか表示されなかった…。追ってそのうち埋めるとします。→埋めました!(6/22追記)
早く収穫したいな!

→その後はこちら(7/6追記)
kn.hatenablog.jp

清廉でうつくしい、中国映画『胡同の理髪師(原題:剃头匠)』感想文

市役所での転入手続きも済んだので、先日さっそく市の図書館で貸出カードを作りました。
図書館のサービスはなかなか良くて、もう少し使いなれたらそのうちこれで一つ記事を書こうかなーと思っています。


総合図書館は大きくて、中に喫茶店、学習室、飲食スペースのほかミニシアターも入っていて、収蔵している映像資料・作品から月替わりでプログラムを組んだものが上映されています。

今月はアジア映画名作選ということだったので、気になる映画の上映に合わせて、貸出カードを作りに行ったというわけです。

その映画『胡同の理髪師』のあらすじはこちら。(引用:福岡市総合図書館映像ホール・シネラ 映画解説から)

93歳のチンさんは12歳の時から北京の古い街角で理髪師として働いてきた。客は馴染の老人たちだが,知り合いは次々に引っ越していく。そして近く家が取り壊されることを通知される。北京市の胡同に暮らす老人たちを丹念に描いた作品。チンさんは俳優ではなく,胡同に暮らす現役の理髪師。消えつつある街並みを哀惜を込めて描き出す。

予告編はこちら。

映画 「胡同(フートン)の理髪師」 (06 中/0802 日本公開) 予告編


この映画は上海国際映画祭でメディア大賞、インドのゴヤ国際映画祭で「金孔雀賞(映画通でないので、それがどのくらいすごい賞なのか解りかねますが…)」を受賞したということで、日本でも2008年に岩波ホールなどで上映されたようです。

以下の感想では内容に触れますので、ネタバレが嫌な方は読み飛ばしてください。




映画は剃刀を当てる音から始まります。丹念に顔を剃られている男性が、最後にタオルで顔を拭かれて「舒服啊(気持ちいい…)」とつぶやく。そんなシーンから幕を開ける本作は、物静かで、ノスタルジックで、衒いのない美しさに満ちています。

主人公のチンさん(敬大爷)を演じているのは、本物の「剃头匠」である靖奎氏で、登場する近所のホルモン屋なども実在する(した?)ようです。幹線道路は大きな輸入車で渋滞する一方、チンさんがリアカー付き三輪車で往来する「老街」の界隈はまだ昔ながらの狭い胡同が残っています。つけっぱなしのテレビからは北京五輪まで1000日弱のニュース、その沸き立つ声を聞きながらのんびり麻雀を打つ老人たち。話題は亡くなっていく友人のこと、心配な子どもや我が身のこと……。

チンさんはまさしく清廉潔白といった人物で、どんなに物価が高騰しても理髪代はいつも5元(90~100日本円)、子への不満をもらす友人には「彼らの世代も大変なんだよ」とたしなめ、愚痴をこぼす息子にはそっと自らの蓄えを渡すなど、温厚そのものです。同志の訃報に接するたびに、やがて来る自らの死を思い、できるだけ迷惑をかけず、さっぱりとしていなければと決意を新たにし、役人から自分の家を「取り壊し」と認定されても「なあに、自分が生きているうちはありえないよ」と嘯く一方で、身分証の更新で「20年有効」の新しいIDカードを受け取ってしまうところなどに、おかしみがあります。

北京市郊外に住む子世代の生活(潔癖なくらいにきれいな家に住み、フォルクスワーゲンに乗る)とチンさん達の胡同の対比もよくできていたと思います。それから、ご覧になった方で上記の「息子に自らの蓄えを渡す」シーンで、息子がろくに礼も言わずにチンさんの元を去ったところに違和感を感じた方も少なくないかもしれません。中国だと、家族や親しい間柄では、あまり感謝のあいさつはしないんですよね。本作中でも、殊更に「ありがとう」「すまないね」とチンさんが何度も声をかけていたのは、自分の肖像画を描いてくれた「友人の孫」の美術学生という、少し遠い間柄の人物くらいです。



ネタバレ終わり。

くすっとするシーンあり、しみじみと美しい場面もあり、とても引き算が美しい映画だなあと思いました。
監督はハスチョロー(中国語表記:哈斯朝鲁)。珍しい名だなと思いましたが、蒙古族なんですね。百度百科によると、ハスは「玉」、チョローは「石」を、それぞれモンゴル語で表すそうです。モンゴルでは父親の名を自らの姓にするそうなので、どちらかが彼自身のファーストネームなのでしょう。

ちなみに、主演の靖奎氏は今でももしかしてご存命なのかしら、と調べてみたところ、2014年11月付で訃報を伝えるニュース記事がありました。
101岁“剃头匠”靖奎离世_北京新闻·城事_新京报电子报
享年101歳、前月の下旬から肺炎で入院されていたとのこと。入院中も自分の子どもたち(実際は3男3女をもうけていた)の電話番号をそらで言えたりとしっかりされていたそうです。
記事によると、2007年からは近隣友人の逝去や自身の体力の低下のために、出張の散髪はせずに、もっぱら来た人に施術していたとのこと。映画のヒットのおかげで、テレビに取り上げられたり、国内外から会いに来る人がいたりと、ちょっとした有名人になっていたようですね。

映画の原題は「剃头匠」ですが、剃头刮脸といえば、昔ながらの理髪と顔そりをセットで行う、今の日本の理容店でおこなう施術を指すようです。現代中国では「理发(理髪)」ばかりを目にします。中国語の理には「いじる、かまう」の意味があるので、ヘアセットとかパーマとか、オプション的なことを元々指したのかもしれません(あくまで個人の印象で、未検証です)。

中国語のセリフについての解説等はこちらのサイトに面白いものがあります(ネタバレもあります)。
胡同の理髪師(剃头匠)_人民中国
このサイトにもあるように、劇中で話される北京語は、「老北京(生粋の北京っ子)」特有の、語尾のr化、nとngの顕著な区別などがたくさん味わえます。私は上海よりの地域に住んでいて、テレビもほとんど見なかったので、とても耳新しく、面白く聴きました。

この映画、DVDも出ているようですが、大きな声では言えませんがYouTubeで全編見れることを発見してしまいました。(ただし、英語と中文の字幕のみ)

The Old Barber 剃头匠 HD国语中字1280高清

これだけでも雰囲気は十分味わえるかと思います。
福岡市の総合図書館でも今月あと一度上映があるようなので、お住まいの方はぜひぜひ(料金は大人500円です)。

胡同の理髪師 [DVD]

胡同の理髪師 [DVD]

胡同物語(フートン) 消えゆく北京の街角

胡同物語(フートン) 消えゆく北京の街角

定住しました。

久々の更新になるので、さくっと近況報告を。
中国から帰国することになった事情は、こちらに書きました。

kn.hatenablog.jp

ビザの期限が切れる4月末に、日本に帰国しました。
南通の家から空港までは、何度となくお世話になった友人の両親が車で送ってくれました。
ママが空港のターミナルで泣き出してしまって、こちらもぐっとくるものがありました。

引っ越しを手伝ってくれた時、「このまま一生中国に住めたらいいのに!」とはしゃいでいたママ。

kn.hatenablog.jp

ママの娘=私の友人は、現在日本で仕事をしながら生活しているので、やはりさみしいのだと思います。九州の地震のこともとても気にかけていて、私が「日本へ帰ったら、まずは熊本へ行って家の片づけをするよ」と言うと、大変心配してくれました。

そんな涙の別れを経て、夕方過ぎに福岡空港着。
この日はひとまず博多で一泊して、次の日から熊本へ。
当時は九州新幹線が復旧したばかりで、全席自由席の変則ダイヤで運行していました(おそらく現在も)。
熊本にはかれこれ一ヶ月ほど滞在しました。その間に家の片づけをしたり、福岡へ行って新居を契約したり、熊本の住居についての手続きをしたり。
熊本市中央区の私の住居は、引き続き住む分には問題がなかったので、私たちの中国滞在中に管理をしてくれていた身内を賃貸名義人にする手続きをしました(職場から近いので、便利だからということで)。久しぶりにつかのま一緒に生活した飼い猫も、そのまま家ごと身内にゆずりました。猫は家につくと言いますし、もはや中々のおばさん猫なので、引っ越しがストレスになってしまうと判断しました。

ちなみに震度5弱と6弱を受けた鉄筋造アパートの5階はこんな感じになります。蔵書家の方、ご注意ください。本棚は高さ180センチのものが2台、高さ1メートルのが2台あって、そのうち低いもの1台のみ直立していました。あとはこのありさま。
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本棚をどかしたところ。
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すっかり恐ろしくなったので、私たちはかなり本を処分しました。はっきり数えたわけではないのですが、捨てた本が200冊超、古書店へ売ったのが100冊超、ブックオフへ売ったのがだいたい150冊くらいです。ブックオフもほとんどの店が店内に被害を受けていて、辛うじて開店したものの買い取りは行えないという店もありました。一か月の滞在中に営業と買取を再開したところがあったので、そこへ持っていきました。

本棚もダメージがあったので、低い1台だけを残して震災ごみに出しました。家の周りを散歩していると、いろんなものが震災ごみに出ていました。座椅子とか、ブラウン管テレビとか、ほとんど廃品回収扱いかな?というようなものもたくさん。

余震は一日に何回もありました。ほとんどが震度1かそこらでした。しばらくは揺れるたびに目が覚めたり怖かったりしたけれど、だんだん鈍感になっていきました。寝てる間に揺れても気づかないことが多くなりました。人体って不思議ですね。

先月末に福岡に引っ越しました。夫の仕事(日本語教師)が見つかりやすいと思ったからです。日本語教師だけでなく、雇用そのものが多いので、私もいよいよ逼迫したら就職活動をするかもしれません。今は、中国にいたときにお手伝いしていた日本語学校の教材作りを有償で引き受けてぽつぽつやったり、悪名高い(笑)クラウドワーク系の翻訳のお仕事を拾ってきたりしています。

ものすごく甚大な被害があったわけでも、大地震のその時に現地に居合わせたわけでもない自分がこんなこと言うのもおこがましいのですが、日本にいる以上、「どこで大地震が起きるか」というのは「ちょっとだけ傾斜がかかったギャンブル」でしかないのかもしれないなあと思いました。もちろん福岡も例外ではないと思います。ミニマリストってほどじゃないけど、物はもたないに越したことはないかなーなんて思い始めています。期せずして、中国1→中国2→熊本→福岡と、今年に入って3回も引っ越しをしてしまったゆえの結論でもありますが。

すっかり更新に間が空いてしまって、タイミングを計っていた感じがあるんですが、これからまたぽつぽつエントリしていこうかなと思ってます。私は元気です!以上です。

なんと帰国することになりました。

ここのところ、というか3月くらいからコツコツやっていたビザの更新のための諸々作業に追われ、そのために一時帰国までしていたというのに、急転直下、就労ビザの準備をしていた会社(外国語学校)の内部のごたごたに巻き込まれる形で、この会社からはビザが発給できないという事態になってしまいました。oh…

もう少しだけ具体的に言うと、いくつかの語学部門を運営するその語学学校から日本語部だけが独立することになったのですが、中国の法律では、新しい会社は創立後一年間はビザを発給できないそうです。でないと、ペーパーカンパニーを利用したビザの発給乱発が横行するから…なのかな? この国だと時節柄アウトなワードですね、ペーパーカンパニー…。

夫の就職先の学校ですが、私は夏ごろからちょいちょい遊びに行っていて仲のいい先生も何人かいたので、そのうちの一人から3月ごろにざっくりそのあたりの事情の勃発から経過を聞いていたのですが、まだ事態もそこまで進んでおらず、「ともあれ私の夫のビザを最優先で」ということでまとまっていたので、あまり心配はしていなかったんですけどね。まさかこんなことになるなんて。

先方からは他の手段でのビザ取得(例えばM(訪問商用貿易、なぜか代行業者を使って取れるらしいです。4/25訂正しました)ビザとか、彼らの知人の会社を通じてとか)をいくつか提案されましたが、それらはかなり黒に近いグレーな手段であり(いや、はっきり黒かも)、実態に合わないビザを持っているのがばれたら最悪二度と入国できないという場合もあるので、丁重にお断りしました。

かくして、帰国やむをえず、と決まったのはおとといで、ショックで昨日はマイクロソフトのゲームばかりやって過ごしました。部屋の片づけしなきゃいけないのに。ジグソー楽しい。

これからどうしようかなあ。国内外の何人かからは、再び中国へ戻ることを熱く、熱く期待されている現状なのですが、実際退職後のキャリアとしてならともかく、働き盛りの男女が稼ぐお金としてはこちらでの給与は(日本円で考えると)かなり心もとない、とは思い始めていた矢先でした。じゃ、心もとなくないだけのお金を稼ぐことが、日本でだったらできるのか? うーん。…有料note? 私が趣味半分で作った日本語会話の教案とか、売れるのかな。45回分で初級文法が全部入っていて、基本的に先生と生徒1対1の会話文なんですが、途中で飽きて、生徒が先生を探すけど見つからないまま終わるというメタっぽい話で1課書いたり、最後は落語『芝浜』のあらすじで使役・受身・使役受身を総復習するというシロモノなんですけど、売れるかな。ちなみにメタっぽい方は、同じく落語の『らくだ』からヒントを得ました。
本当を言えば、翻訳でちまちま食べていきたいですが、夫の仕事が見つかったりしてもしまた中国へ行くのなら、(2016年4月現在)グーグルやグーグル社のサービスを使えないためにフリーの仕事をしにくくなるし。どうしよう。

というわけで、先のことは全然分かりませんが、とりあえず来週帰国します。しばらくは、熊本の家の片づけをします。励ましてください。

シーズンオフだけど「見帰りの滝」へ行ってきました。(後篇)

こちらの記事の続きです。

佐賀県唐津地区が誇る(なけなしの)名所の一つ、見帰りの滝。
ことに相知町にとっては、マンホールにしちゃうくらい、これしかない!といっても過言ではないこの町のアイコンだったりします。いや、他にもあるよ!ありますとも……。

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あまりにも見事な滝なので帰り際にも思わず振り返って見てしまう、というのがその名前の由来なのですが、遊歩道とは名ばかりのまあまあハードなぬかるみ道(これは雨上がりなのが原因)を行けど、なかなか滝は見えてきません。

子供のころは毎年のように来ていたところで、遊歩道のルートもまったく変わっていないはずなのに、こんなに長かったっけ? そして、記憶の中の風景より、なんというか…ずっと自然に還って行っているような気がしました。
前日~前々日の風雨で、細い枝がいっぱい落ちているところを踏みしだきながら歩いていたからそう思ったのかもしれません。でも、昔腰かけることができた岩には緑色の苔がふかふかに生えているし、この新緑の季節だから、だけが理由なのか、この緑に包まれた、原始的なたたずまいは。

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そこはかとなく漂う屋久島感…。いや、ジブリ感?

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あとふた月か三月もすれば美しく咲くであろうあじさい。
落花の赤が美しい。

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そしてようやく、滝が見えました。


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これを撮ったのは、滝を見るために作られた長い吊り橋の上ですが、吊り橋のちょうど真ん中に立つと、松の木が重なってきれいに見えませんので、遊歩道寄りで撮っています。
ここから、これまで歩いてきた渓谷側を撮ったのがこちら。

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滝へは、上の写真で見える一番奥のコンクリート歩道の、さらに奥の岩場まで近づくことができます。顔や体に当たる微かなしぶきが気持ちいい!
このころには、晴れ間が見え、日差しが気持ちよくなっていました。
誰もいないのをいいことに、滝を背に、乾いた広い岩に寝そべってみたり、でっかい岩に助走をつけてよじ登ってみたり。

帰りは渓谷を挟んだ反対側、舗装道路のほうを歩いていきます。

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滝の脇には、不動明王。「鯉供養塔」の文字が読めます。夫がさっき食べた鯉こくの鯉を悼んで合掌…。

舗装道路へ上がる前の石段。雨で散った桜の花びらが地面にも、岩肌の苔にもたくさん貼りついていて、きれい。

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この世の中にある大抵のものは大人になると小さく感じるのに、子供のころ遊んでいたときよりも、ずっと大きく険しく感じました。また今度帰国したら、きっと来よう!


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おまけ。でっかいカタツムリのオブジェがそこかしこに。唐津ワンダー。

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シーズンオフだけど「見帰りの滝」へ行ってきました。(前編)

帰国4日目。昨日から、唐津の実家に寄せてもらっています。魚うまい。

夫がまだ一度も行ったことがないということで、今日は九州一の瀑布という「見帰りの滝」へ行きました。

見帰りの滝(唐津市相知町) | 観光情報検索 | あそぼーさが

日本の滝百選にも選ばれた唐津市相知(おうち)町の見帰りの滝。春は桜、夏は深緑、秋は紅葉がそれぞれに滝を彩ります。特に見ごたえのあるのが6~7月のアジサイ。ブルー、ピンク、紫など40種約40,000株にものぼるアジサイが九州一といわれる豪快な滝と見事な風景を演出します。滝一帯は見帰りの滝公園として整備され、滝をいろんな角度から眺めることができます。
(上記リンクより)

…などと、よそよそしい紹介をしてみましたが、正直言って超地元スポットです。どれくらい地元かというと、義務教育のころに美術の授業でスケッチしに来たくらい地元です。しかしそのことは措くとして、今日私たちが「見帰りの滝」の最寄り駅であるJR相知駅から徒歩で滝へ行き、それからまた相知駅へ帰ってきたよ、ということを前後編に分けて記します(一度に書くつもりが、長くなってしまったので)。
これからアジサイの見頃になると、「見帰りの滝」は唯一の繁忙期…もとい、ベストシーズンを迎えるので、ぜひぜひ、行ってみてください。

というわけで、まずはJR相知駅からスタート。

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「見帰りの滝まで車で5分」とあります。私たちは車がないので、歩きます。ちなみに歩くと一時間弱かかります。それにしても、情報がアップデートされている気配のない観光案内。最近(といってもここ10数年のこと)できた温泉が載ってません。

まあ、観光というより町民が使う感じだしなー。

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駅から歩きはじめて、10分経過したあたり。何もありません。後ろのほうの山々も、靄がかかっていてこの時はよく見えません。
とはいえ、雨が降る気配はないので安心して歩きます。
実は歩いて自分たちだけで目指すのは初めてだったので不安でしたが、所々に案内板が出ているので道には迷いませんでした。

さらに20分経過。バス停がありました。

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一日3便。そして躍る「日祝運休」の文字。

川沿いの道まで来るともう安心。川の上流に向かっていけば滝です。
子供のころ遊んだ覚えがある渓流。平日だからか、今日は誰もいません。飛び石がぬるぬるしてて結構怖い。

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そんなこんなで、ようやく滝の入り口に着きました。が、お腹が空いたのでここにある旅館兼食事処でご飯を食べました。

佐賀 相知町 あじさいの宿|都荘 -相知の郷土料理

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うな丼。うまい。肝吸い超うまい。夫は鯉こく御膳を食べました。
写真がなくてすみません。上記のリンクから見られます。リンクのお品書きの中には、要予約のものもあるので、注意です。

うなぎ。実は中国(南通)の日本食レストランで一度だけうな丼を食べたのですが、なんかぶよぶよしてておいしくなかったんですよね。たぶんその時食べたのは鰻魚という、鰻ぽい川魚だったんじゃないかなーと思います。煮物にしたらけっこうおいしい魚ですが。たとえ味が似ている魚だといっても代替にはならないものなのだなとその時思いました。


体力が戻ったところで、いよいよ滝へ。この先は、車も通れる舗装道路と徒歩用の遊歩道に分かれています。
意気揚々と遊歩道を歩きだしたのですが、なかなか「遊」というほど気楽に進めるものではありません。前日までの雨で道が悪くなっているのもそうですが、そもそも険しい。そしてなかなか強引。

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たとえばこんなところとか…

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こんなところとか。よそ見できません。もはやこれ、遊歩道じゃないだろ!などとツッコミを入れつつも、足元に気を付けながら進んでいきます。

片側は渓流、もう片側は苔むした岩肌。まだまだ滝は見えません。

後半へつづく!

引っ越しました。

早いもので、もう3月末。『あさが来た』も今週で終わってしまいます。寂しい…。


私は、相変わらずビザのことや何やらやっています。
夫の職場が4月から変わるので、今はとりあえず先に夫のビザ更新に向けて、彼に替わって新しい職場のスタッフとやり取りしながら必要な書類を作ったり、日本から取り寄せたりしています。

就労ビザの期限は最長一年なので、どのみち更新する必要はありますが、同じ職場でする分にはびっくりするくらい簡単だそうです。反対に、職場を変わるとなると、一から色々と書類をそろえたり、申請をしたりする必要があるということで…。もう、こんなに大変だとは思わなかった!

夫のビザが無事降りたら、次は私のビザです(このあたり、同時に出来るのかもしれませんが、まだ現時点では確定せず)。
日系企業の駐在さんや、大きくてこういう手続きに慣れている職場ならポイッと会社に丸投げでいいかもしれませんし、例えば「中国 ビザ」などで検索すると、代行業者がわんさか出てきますから、そのあたりを使って来ている人も中にはいるようです。

夫の会社は残念ながらそのような所ではないし、私が根っからアウトソーシングが苦手な性分ということもあってこうしてバタバタしているわけですが、上手くいったらまたブログ記事にして、情報が欲しい人と共有できたらいいなあという魂胆もあり…。

代行で取得できるビザにも限りがあるようで(当たり前か)、代行業者(旅行代理店?)に投げている知り合いも、なんだかんだで3ヶ月ごとに帰国して更新、を繰り返していて大変そうなんですよね。お金がうなるほどあって時間がないならそうしてるかもしれませんが実情はその逆だし、高いお金を払って、個人情報を渡して、その上そうした面倒くささを強いられるよりは、腹を据えて一回がつんと作業して、きちんと一年有効の年次ビザ(期間中何度も帰国可)を取得しちゃいたいなーと!

そういうわけで、近々ちょっと帰国します。どうしても本人が日本で申請しないといけない必要書類が出てきてしまったので…。

合間を縫って兵馬傭展に行けたらと思っています。中国で見ろよって話なんですけど、西安は遠いのです。


前置きが思いのほか長くなりました。
そんなこんなで、ビザ更新についてはまだ作業中ですが、とりあえず先週末、先に引っ越しました。
今までの住居はその職場が所有する不動産だったので、また新しい職場で別の部屋を探して契約してもらいました。

引っ越し作業は、いつもお世話になっている友人ご両親に、自家用車で2往復してもらって、完了。
引っ越し日より前に鍵をもらっていたのと、二つの家の間隔が徒歩15分くらいだったので、小さいものは自分たちで時間を見つけて運んでいましたし、こちらの家は家電やテーブル、ベッドなどの大きい家具はだいたい備え付けなので、こんなもので済みました。それでも一年住んでいると、結構物を増やしちゃうんだなと思いました。身軽に生きるのは難しいですね。

新しい家はこんな感じ。間取りスキーなので間取りを書きました。

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中国の家はだいたいみんな土足ですが、ここの大家さんは大変きれい好きで、下見段階ですでに土足禁止、使うときもそのようにして欲しいとのことでしたので、そうしています。やっぱりこの方が掃除が楽ですね。

契約する前は、外国人に貸すのを嫌がられたりしたらどうしようと心配していましたが、彼女は「日本人はきれいに使ってくれるだろうから大歓迎!」と言ってくれました。そ、掃除が苦手な日本人だっているんですよ!プレッシャー半端ないぜ…。

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最後に、前の家の周りをよくうろうろしていた、私達が「多部ちゃん」と呼んでいた犬を紹介して、本エントリを締めます。さよなら、多部ちゃん!