つのへび日記

こなやぎのブログです。手仕事、語学、短歌、読書や映画など。

Twitter連用日記化プロジェクト

先日こんな記事を読んで、そういえば前から連用日記に興味があったことを思い出した。

www.churio807.com

3年日記・5年日記・10年日記など、ある長期間にわたって書く仕様の日記の総称を「連用日記」という。

たとえばこんな専用のダイアリーがある。
ちなみに、自分が書店員だった頃は連用日記といえばミドリか博文館の2社というイメージだったが、ディアカーズというメーカーもあるらしくて、そちらはキャラクターものがあったりして少しキャッチ―な感じ。

連用日記の専用ダイアリーを買ってもいいが、この中途半端な時期(4月末)に始めるとなんだかおさまりが悪い。
何年用のものを買うべきかという選択肢も生じる。3年日記を買って、使い終わる頃にもっと長いものにしておけばよかったと思うかもしれないし、逆に10年日記を買っても長続きしないで余白が無駄になるかもしれない。
万が一何かあった時、家探しされて人から読まれたくない(そんな内容にしなければいいのだが)。それに毎週のタスクや筋トレメニュー等の管理に使っている紙の手帳はすでにあるので、紙モノはこれ以上増やしたくない。
kn.hatenablog.jp

少し考えて、表計算ソフトで連用日記を付けるのはどうかと思いついた。
これならば行列を自由に増やせるので、年数にとらわれず際限なく増やすことが出来る。

参考になるフォーマットを探すべく「連用日記 エクセル」でGoogle検索すると、やはり思っていた通り、すでに先人がいた。

kosstyle.blog16.fc2.com

ところで私は2カ月ほど前に、いつTwitterのアカウントを消してもいいように自分のツイートのアーカイブをダウンロードしていた。

設定>アカウント>データのアーカイブをダウンロード からできる

表計算ソフトでつける連用日記はゴールも決まっていないが、スタートも決まっていない。
今のTwitterアカウントは2014年4月なかばに開設していて、もちろんツイートをしていない日や消している日もあるのだが、ここに書いてあることを抽出しコピー&ペーストするともうそれだけで8年分の日記ができてしまう。日記はこれからのことを日々したためるものだと、いったい誰が決めた?

そういうわけで、先日から少しずつ時間を見つけてはTwitterアーカイブを参照しながらGoogle Spreadsheetのセルを埋めている。Twitterへ投稿した内容のうち、日記として使える部分、正確には今の自分が必要だと判断した部分だけを使うので、そういう意味だと純粋な連用日記とは呼べないかもしれない。その場で考えたことを断片的に書いたツイートを、順番を入れ替え、読むうちに思い出した当時のことなども書き足し、文章を日記風に校正する。2022年の私の編集の目がそこには働いている。

ここまで読む分には、こんな作業何が面白いのかと思われそうだが、けっこう楽しい。過去ツイートを眺めながら、フォローフォロワーも大して多くないアカウントで、RTもいいねも大してつかないツイートをしょっちゅう投稿して我ながらむなしくならないのかとまったく思わないといえば嘘だが、それはその行為(ツイート)自体にそう思うだけで、内容に対して思っているわけではない。
私が書くものは面白い。私が考えていることも面白い。食べたもの、読んだ本のことも面白い。正直、下手な他人の文章を読むよりもずっと面白い。自分ではそう思っている。だから読み返して編みなおす作業もけっこう楽しい。引退後に暇を持て余したひとが自費出版に傾倒する気持ちがほんの少しわかってしまった。

私の場合は頻度や量からTwitterが連用日記のメインのデータベースとして最適だと判断したものの、もちろんTwitterに何でもかんでも書いていたわけではない。2015~2016年の中国にいる間はこのブログを(今よりまめに)更新していたので、その情報で埋めることもできる(それはTwitterからの作業がひと段落ついてから)。紙の手帳に付けていた内容を転記することもできるし、Amazon等ネットショッピングの購入履歴もアーカイブになる。ネットに何らかの情報を残すことを強く拒まない人にとっては、現代は日記をさかのぼって付けることに適した環境なのだ。

Twitterと日記といえば、昨年12月にはTwitterでのアドベントダイアリー企画に参加してみた。
twitter.com
一日ごとに共通のハッシュタグを付けてその日の日記をつぶやくことで、他の人の同じ一日をハッシュタグから一覧できるというもの。連用日記は一年の時の流れを縦軸、同じ日の別の年のできごとや思いや暮しを横軸としてとらえるものだが、これは同じ日を生きた別の人のそれらを横軸上に見ることができてたいへん面白かった。

上記のような素敵な使い方もまだまだあるし、Twitterをすぐに消すとかどうこうすることは今のところ特に考えてはいないが、接触頻度を減らしたいとはずっと考えている。*1自分の書くものは面白いと思っているが、中にはそうでないものももちろんあるし、そもそもTwitterに書くという行為は面白いのかというと、おそらくそうではない。この作業が自分にとって、そうしたTwitter利用の見直しの機会になればいいとも思っている。

以前読んで面白かった本。古今東西日記文学や文学未満の日記の紹介を読んでいると、日記を付けたくなってくる。

昨夏読んだ本。最近また少し再読中。

*1:昨年8月に1ヶ月Twitter含むSNS全般を見ない生活をやってみたが、結局その後戻ってきてしまった。

『ペリーヌ物語』全53話を観たアニメ初心者の感想と考察

(最終更新日:2022/8/27)

ここ一ヶ月くらい、すっかりはまって毎日観ていたアニメ『ペリーヌ物語』。

テレビ放映は1978年で、私が生まれる6年も前のことだ。
世界名作劇場、の前身の「カルピスファミリー劇場」という枠で、翌年の『赤毛のアン』からおなじみ「世界名作劇場」となったらしい。

ペリーヌ物語』はそのような、いわば「日本アニメ黎明期」に属するような少し昔のアニメなのだが、全「名劇」シリーズ中で一番好きという人も多いという。
以下の文章では自分の語りたい欲に任せてがんがんネタバレをしていくので、前情報なしに鑑賞したい方はぜひ以下のリンク(第1話)から観てください。
全53話!?とひるむのは最初だけで、特に後半からは飛ぶように時間が過ぎてしまう。

旅立ち

私はAmazonプライムビデオで視聴したが、YouTubeでも公式で全話視聴可能なのでぜひ。
→2022/8/27現在、1話のみ視聴可能。

ペリーヌ物語 第1話「旅立ち」 - YouTube

目次

プロローグ(世界名作劇場のこと)

Amazonプライムビデオで「名劇」系列作品をいくつも観られるようになっていると知って、最初はストーリーをまあまあ知っている『赤毛のアン』に手を出した。

しかし共感性羞恥というのか、通知表に「落ち着きのない子」と書かれていた当時の記憶の断片が蘇ってきてむずむずして落ち着かず、それでもマリラの突っ込みが面白いのでしばらくは観ていたが、予告で「次回、初めての学校へ~」ってとこで、うわっギルバート殴るやつだ、と思って観るのをやめてしまった。
石板で殴るとかいくら何でも怖すぎ。
マリラ風に言うと「あたしはそういうことはしてほしくはないし、見たいとも思わないね」といったところだ。*1

そもそも「世界名作劇場」には親しんでこなかったので全体的に知識が乏しく、唯一『七つの海のティコ』だけはリアルタイムでTVで観ていた記憶が確かにある。
学校図書館の『シートン動物記』や『ファーブル昆虫記』に夢中だった生き物大好きっ子として熱心に観ていたはずだったが、今サムネイルを見ても、女の子とシャチ、どっちがティコだっけ?というレベルでストーリーは何も覚えていなかった*2

ちなみに『ロミオの青い空』はつい先週まで金髪の方がロミオだと思っていた。
いずれきちんと鑑賞したい。

きっかけ

そんな私がなぜ『ペリーヌ物語』という隠れた名作を引き当てることができたかというと、以前ひとから「あなたはオーレリィみたいだ」というようなことを言われたから。
それ以来、いつか機会があったら観てみようと思っていた。

後述するが、オーレリィというのは物語後半からの主人公ペリーヌの仮の名であり、オーレリィとペリーヌは同一人物なのだけど、あくまで私が似ているのはオーレリィらしい。

実際の私はこんなにまっすぐないい子でもないけれど、ちょっと生意気なところとか、何でも自作しようとするDIY精神旺盛なところは確かに似てる。
顔もちょっと似てる。

もちろん顔はペリーヌ期からずっと同じなのだが、彼女の自立心とかサバイバル能力だとか、それから年相応にいたずらっ子なところだったりとか、それまでずっと「しっかりした娘」だったペリーヌに色々な面が表れるのは、たしかにオーレリィ期以後なのだった。

自分の力で

ストーリー

ペリーヌ物語』は貴種流離譚とも言えるし、立身出世のストーリーでもある。

快活な少女ペリーヌは父の生まれ故郷を目指し、優しくて美人な母、犬のバロン、ロバのパリカールとともに馬車で旅をする。

旅の途中で次々と大切なものを手放し、うしない、ほとんど着の身着のままで故郷のマロクール村にたどりつくものの、今は名乗り出る時ではないと悟ったペリーヌはオーレリィと名を変えて、祖父の経営する繊維工場で働くことに。
そこで自分の力で生活をし、周囲の人の善意や運にも助けられつつ仕事でも取り立てられ、次第に厳格な祖父の心を開いていく。

善行をすればかならず報われるし、人を愛すればその人も愛してくれる。
そんな性善説にもとづく道徳的な物語でもある。
道徳的な物語というのは大抵退屈でつまらないものだけど、『ペリーヌ物語』はちがう。

構成

全体の尺でみれば、マロクール村への到着を境目として「ペリーヌ編/オーレリィ編」の前後編にちょうど分けられるし、ストーリーの起伏でいえば、ボスニア~パリの「ヨーロッパ旅編」、パリ~マロクールの「フランス旅編」、そして「マロクール編」の3部作とも言えそう。

と思っていたら、エクトール・マロの原作小説『En famille(アン・ファミーユ)』ではパリ以降のストーリーしかなく、ヨーロッパ旅のストーリーはアニメオリジナルとのこと。
それを踏まえて観ると、前半の旅物語が後半に比べて、特にストーリーが大きく動かずまったり進行なのも納得できるというもの。

地理と文化

物語はペリーヌ母娘がボスニアを発つシーンから始まるが、そこから向こう数話はしばらくボスニアだ。
何しろボスニアは広いし、彼女たちはロバの馬車で旅をしていて、ロバにとって大変な道は馬車から降りて歩いたりもしている。

私はヨーロッパの地理にからきし疎く、また全然記憶にも定着しないので一時期白地図を買って覚えようとしていたくらいなのだけど、『ペリーヌ物語』のおかげでヨーロッパに関しては以下いくつかの知識を得た。

  • ボスニアはものすごく大きい
  • イタリアとフランスは隣接している
  • スイスを通るアルプス越えは近道だけどめちゃくちゃハード

特に最後のアルプス超えは強烈な印象だったので、絶対に忘れないと思う。

アルプス越え

イタリアの手前あたりの宿屋でひんぱんに供されるシチューのようなものはグラーシュかな、とか、高地はやっぱりヤギのミルクなんだ、とか、食べ物や風景、街並み、人々が飼っている家畜などを見るのも面白い。
前半はストーリーの起伏に乏しい代わりに、それらに注目できるという良さもある。

産業と労働の歴史

ペリーヌがたどりつくマロクール村はすでに産業革命の影響下にあって、村の住人は自営業者か、そうでなければ工場の勤め人のいずれかだ。
作中でイギリスから最新の機械を輸入し設備増強をしていることからも、今後も事業の拡大を図る先進的な企業であることが分かる。

急速な工業化と事業規模拡大のために、労働環境の整備や福祉の充実は二の次であり、やがて小さな悲劇をきっかけに工場主でありペリーヌの祖父ビルフランは変節をせまられる。
一代で大事業を築き右肩上がりに利益の追求をしていた彼が、ペリーヌらによって福祉の概念に出会い「ノブレス・オブリージュ」を体現するに至る過程も終盤のひとつのみどころで、大人がこの物語を楽しめる所以でもある。
ファミリー劇場の名はだてじゃない。

ちなみにこの工場は原作発表当時に実在した繊維会社がモデルとのこと。
当時小説のモデルになることは、マーケティング手法として有用だったのかも、などと想像する。

火事

キャラクター

ヨーロッパ旅編では、一路フランスを目指して旅を続けるペリーヌや母を誰もが好きになり、多くの人が力になろうとしてくれるし、ピンチにも救いの手が必ず差し伸べられる。
みんないいひとだけど、何しろ旅路の出会いなので登場人物はかなり流動的だ。

しかし定住することで人間関係は濃密になり、人物(キャラクター)描写はいっそう深くなる。

パリ編ではシモン荘の人々やルクリおばさんなど癖のあるキャラクターが登場し、彼ら自身の生き方を変容させるほどにペリーヌと深く交流する。
そしてオーレリィとしての生活が始まるマロクール編では、友人ロザリーとその家族、工場の技師ファブリさんなどの絶対的な「善玉」キャラと、工場長のタルエル、ビルフランの甥テオドールという愛すべき「悪玉」キャラがそれぞれの存在感を示している。
そのためにストーリーの輪郭や起伏がより際立ち、見るものをぐいぐい引き込む。
前述の通り、ペリーヌ=オーレリィ自身のキャラクターの魅力も多彩さを増す。

おじいさんの大きな手

旅の空とマロクールをつなぐ存在であるサーカスの少年・マルセルも(原作ではほんの少しだけ登場する人物を大幅にふくらませた、ほぼオリジナルキャラらしいが)重要なキャラクターである。
前半はにぎやかな旅のお供として、パリではペリーヌの心を支える友人として、エンディングでは彼女の幸せの証人として、それぞれ効果的な使われ方をしている。

言語

「ヨーロッパ旅編」を視聴中の私の一番の関心ごとは、「ペリーヌは一体どんな言語で口上を述べているんだろう?」ということだった。

ペリーヌ一家は、当時珍しかった写真の撮影で路銀を稼ぎながらフランスを目指している。
父亡きあと、ペリーヌが父の口真似で客寄せをするあいだ、母マリはじっと黙っている。
最初は内気な性格のためかなとも思ったけど、おそらくペリーヌはフランス語で口上を述べていて、仏語が母語ではないマリは彼女にそれを任せているのかなと推測を立てた。

ペリーヌたちが旅した地域は主にスラブ語とロマンス諸語の言語圏なので、前者はともかく、後者ならフランス語の口上でも言いたいことは伝わるのかな、と思ったりもする。
マルセルの両親が巡業しているエトワールサーカス団もイタリアからフランスへ旅しているようだが、名前からするとフランス拠点のようだ。
こちらも舞台の進行などはフランス語でやっていたのだろうか。

マリはインド系英国人で、母語は英語である。
ペリーヌの父エドモンはフランス人なので、(後の展開で、マリとペリーヌの母娘間では英語による意思疎通があったとわかるが)家族3人でのコミュニケーションはクレオール的な言語によってなされていたかもしれない。
そんなことを考えるのも楽しい。

多言語な映像コンテンツは大好きなので、ペリーヌが通訳として初めて活躍する回は楽しくて心が躍るし、何回も観てしまう。

忘れられない一日

音楽

オープニング、エンディングもいいし、劇中のBGMもとてもいい。
長編アニメだからというのもあるのか、何曲ものBGMがふんだんに使われている。

OSTYouTubeで検索すれば、2枚組CD音源が聴けたりもする(公式のものではないのでリンクは貼りません)。
私はマロクール編で多用される「働くペリーヌ」という軽快な音楽と、ロザリーのテーマ(本編でロザリー本人が鼻歌で歌っていたりもする)がお気に入りだ。

好きなセリフやシーン

ペリーヌ物語』のセリフは(現代アニメに比べると)ゆっくりしている。
セリフの話者ごとにカットの切り替わりが多いことにも関係しているのかもしれない。時代を感じる言い回しもあるけれど、それにも味わいがある。

写真機どろぼう

とりわけ好きなセリフ、というかシーンはたくさんあるが、前半のヨーロッパ旅編から一つ挙げるなら「写真機どろぼう」の回だ。

いちゃもんを付けてきた同業者のイタリア紳士をペリーヌは理詰めでみごとに言い負かすのだが、その日の夜に母は「あなたがとてもしっかりしているので心配だ」と切り出し、「あの時のあなたは、とても意地が悪かったわ」とたしなめる。

先に意地悪してきたのは向こうだ、インチキ写真屋だなんて言うから、と抗弁するペリーヌに母は「言いたい人には言わせておけばいい、自分たちさえインチキをしなければいいのだ」と諭す。
「あなたには誰からも愛される人間になってほしい、それにはまず自分から人を愛さなくては」とも。
そしてその日の深夜、マリは自らの行動をもってそれを示すのだった。

私はこの時のペリーヌみたいについ正論で人を刺してしまいそうになるし、同業者の紳士たちみたいに劣等感を他者への悪意にすりかえそうになる時もあるから、ここからの一連のシークエンスは何度観ても泣いてしまう。
マリが言いたいのは「女、子供は分をわきまえろ」という抑圧の言葉ではなく、「人にはやさしくしましょう」という普遍的な善性からのメッセージであり、それを彼女は身をもって示し続ける。

写真機どろぼう

パリカール!私のパリカール!

単身パリを発ち、一文無しになったペリーヌは道中で行き倒れるものの、パリカールとの再会によって一命を取り留める。
これも観るたびにいつも泣いてしまう。
会う人みんなに「変な顔の犬」などと言われてしまう気まぐれなトラブルメーカー、バロンが超がんばる回でもある。

パリカールは決して高くはない額でルクリおばさんに買われてしまったのだが、続く回で彼女はそのことへの後悔を口にする。
「パリカールは優秀なロバだから、もっと高く買ってやればよかったと思っていた。だからこうしてペリーヌを助けることは神様の思し召しだったんだ」と。
かくして差額は善意によって埋められ、遅まきながら取引は公平なものとなった。

パリカール!私のパリカール!

ペリーヌ物語』の世界で、善意は通貨と同じ価値を持っている。
終盤ビルフランは、ただのオーレリィだった頃から彼女に優しくしてくれた人々に対してクリスマスの贈り物をするが、ここでも善意と金銭的な価値が交換されている。

これを産業革命以後の資本主義的な価値観へのシフトと見るのはたやすい。
だがルクリおばさんの善意を覚えている私たちは、それが一方通行ではなく、もっと柔らかくひらかれているものだと信じることができる。

忘れられないクリスマス

オーレリィの顔

マロクール編ではほぼすべての回に見どころがあって素晴らしく、一日に何話も続けて観てしまったほどだ。
その中でも、祖父ビルフランがオーレリィの正体について自力で推測を立て、真実への糸口をつかむこの回がとりわけ好きだ。

ビルフランは絶対的な権力者で威厳もあるが、彼の大真面目な言動が逆に可笑しかったり茶目っ気が垣間見えたりもする。
終盤、孫と祖父としての邂逅を果たしてからは毎回かわいい。
「おじいさまが大好き!」なんて言われてある大きな決断をするところなど、チョロすぎて愛くるしい。

オーレリィの顔

善意と健康

ペリーヌ物語』に2つ教訓を見出せるとすれば、ひとつは「写真機どろぼう」の回にも見られる「人には優しく」、そしてもうひとつは「健康第一」ということだろう。

母マリが病を得てのち、写真師の仕事ができなくなり母娘の財政状況は急激に悪化する。
ペリーヌは一人でお金を稼ごうと機材を持って出かけるのだが、子どもなので誰からも相手にされず商売にならない。
生活や治療のために、父の形見の宝石を売り、親子で暮らしていた家馬車を売り、マリの民族衣装を売り、ついにはロバのパリカールに至るまで大切なものを次々とお金に換えざるを得ず、その過程が本当に恐ろしくぞっとした。

いっぽうビルフランのように、お金があれば困難な手術も受けられ失った健康を取り戻せるひともいる。
だが、それにしたって一定程度の健康があってはじめて、手術ができるという条件付きでもある。
(ペリーヌがマロクール村に到着した頃のビルフランは、目の手術に耐えられる体力がないために盲目のままでいるしかないとされていた。)

やはりひとへの善意と同じくらい、健康もだいじだなと思ったのだった。

エピローグ(En familleとフランス語)

ペリーヌ物語』を完走した私だが、次は原作を読んでみたくなった。
Kindleを探したところ、仏語版(原書ではなく、初級仏語のリライト版らしい)を見つけた。
古い小説なのでパブリックドメインになっていて0円である。

En famille (French Edition)

これに取り組むべく、今はDuolingoでこつこつ仏語の勉強中だ。

やっぱりラテン諸語は似通っているな、と実感するたびに、やっぱりイタリアでも仏語の口上で人が集まってきただろうな、という思いを新たにしている。

読み終えたらまた感想を書きたい。
まだ読み始めてもいないのだけど。

*1:ちなみにTwitterで「赤毛のアン 共感性羞恥」で検索すると私同様、黒歴史が疼くという人がたくさんいた。強く生きていきましょうね。

*2:ところで、大人になった今ストーリーを見ると、幻の生き物を研究対象にする海洋学者(お父さん)ってそんな研究に助成金出るのか?とか、学会ではアンタッチャブルな感じになってそう、などと余計な心配をしてしまう。

ソックヤーンで編める小物いろいろ

先日「お気に入りの靴下」というお題でこんな記事を書いた。
kn.hatenablog.jp

この時は在庫のソックヤーンをどうしようかまだ考えあぐねていて、フットカバーがいいかな? とぼんやり思っていたけれど、
・25%ポリイミドが入っているから100%ウールよりも頑丈
・洗濯に強い加工がしてある(ネットに入れて洗濯機で洗える)
・基本的にカラフルなものが多く、糸1本で編んでも目に楽しいものが出来る
以上のソックヤーンを特性を生かして、靴下以外のものも編めるのでは? とふと考えた。

それで結局、この冬は2つの小物をソックヤーンで編んでみた。

1.ミトン


上記の記事のサムネイルにある、真ん中の靴下を編んだ糸の残りと、ネイビーの単色糸を2本取りで編んだ。
途中でカラフルな方がなくなったので、別のレインボーカラーの糸を継いで編んだ。
写真では下に来ている方の手袋がそうなので見えにくいが、さほど違和感はないとおもう。

秋から始めた早朝のジョギングで手がかじかむようになったので、厳冬期の装備としてこれを編んだのだった。
走るにつれ手はぽかぽかになり、じっとり汗ばみさえするけれど、これならざぶざぶ洗える。

編み方はお気に入りのこの本から。引き返し編みをしながら平面に編んで、最後にはぎ合わせると斜めに編地が出るユニークなもの。
最初からぐるぐる輪に編むものも好きだけど、さっきまで平たく編んでいたものが2Dから3Dへと変容する瞬間は、何ともいいがたい快感がある。
ゲージ取りをさぼったので、片方をいったん仕上げまで終わった後どうにもサイズ感が気に入らず、最初からやり直した。
そのおかげで、20年以上苦手だったメリヤスはぎをようやく克服した。

www.youtube.com
また忘れたらこちらの動画を見ながら思い出そうとおもう。(とても分かりやすいです)

2.マフラー


妹夫婦と私は互いに帰省しなかったので、年末年始は会わずじまいである。
妹に「甥っ子にお年玉代わりに何か編もうか?」と聞いたところ「マフラーがいい。グレーの上着に合う色で、洗濯が楽なやつ」というので、1玉で長めの靴下が一双編めるソックヤーンは子ども用マフラーにも適した長さなのでは? とひらめいて、実行に移すことにした。
(余談だが、こんな風にそこそこ具体的でそこそこ抽象的なリクエストは非常に助かる。ある程度自分の好きなようにできつつ、相手の不要なものを作ってしまうという不幸な事態も避けられるので)

スパイラルソックス*1と同じ60目で作り目して、ぐるぐる輪にして1メートル弱メリヤス編み。両端は靴下のつま先のように減らし目をして、先に小さなポンポンを付けた。
両端を減らし目するために、作り目は別糸でくさり編みにした。まっすぐ編んでぎゅっと絞ってひだを出したり、大きいポンポンを付けたりしたほうが確かに可愛いのだけど、それだと洗ったときに両端だけ乾きにくくなるので、機能性重視にした。

多色のニット小物を作るとき、ふつうは単色糸を複数使用する編みこみか、一回編んだ後にさらに別の糸を重ねる刺繍のどちらかになるが、それだとやはり生地自体に厚みが出てしまう。ショートピッチのソックヤーンでしかも細い糸なら、編地は平たく薄く、しかもカラフルなので子ども用マフラーにも向いていると思った。

ソックヤーンの残りはまだ少しあるので、今編んでいる別のものが終わったら、今度こそフットカバーに挑戦しようかと思案中である。あるいはそのままダーニング用に取っておくのもいいかもしれない。
kn.hatenablog.jp

Wordle攻略法

www.powerlanguage.co.uk

ここ数日考えていて、ある程度結論が出たのでメモ。とはいってもあまり新鮮味はない、まあそうだろうなという正攻法です。絶対毎回3手で上がれるみたいな派手な結果は保証できないけど、どんなについてなくても5手目くらいまでには上がれるんじゃないかという気がする。

 

まずは英単語のアルファベットのうち、使用頻度が高いものを抜き出す。検索すると有用なサイトはすぐに出るのだけど、その前に自分なりに予想を立ててみる。

 

まず母音a,e,i,o,uと、母音に準ずる役割をする流音l, rは頻度が高そうだ。反対に、ラテン文字の初期になかった(外来語を表すために用いられ始めた)文字は、英語でも出現頻度が低いのではないか。たとえばW(ダブルユー=2つのU)とか、J(イタリア語でイッルンゴ=i lungo 長いi)みたいに、文字の名前それ自体が副次的で、明らかに後発です、と言っているようなタイプ。

ideal-user-interface.hatenablog.com

私が参考にしたこちらの記事によると、果たして上位10文字はだいたいこのあたりだった。

a, d, e, h, i, n, o, r, s, t

この10文字をそれぞれ1度だけずつ使いながら、5文字のことばを2語考える。この作業自体がゲーム的で大変楽しい。(「私の考えたさいきょうのデッキ」をここに書いてしまってもいいけど、それだとつまらないので各々楽しみましょう)

 

そしてそのようにして呻吟しながら考えた2語を、wordleの最初の2手に使う。

すると不思議、10マス中3つか4つは色が付いているではないですか!運が良ければ、そのうち半分くらいは緑色かもしれない。

3手目からは一気に答えを狙うもよし、ここまででも微妙なら、もう一度未使用の文字多めで探って4手目以降で決めに行ってもよし。私はこの方法を採用して3回くらい解いたが、いずれも2手目まででヒントは十分集まった(たまたまかもしれない)。

 

ボードゲームなどの用語で、最善手を指し続けた場合の勝敗パターン(先手/後手必勝など)が解析されつくしたものを指して「寿命の尽きたゲーム」ということがあるらしい。Wordleももっと英語のスペリングの法則などをつきつめて考えると「必ず負けない」程度の定石はつくれるんじゃないかと思うし、実際上記のやり方でも十分「ほぼ負けない」くらいにはなれる。色んな意味で短命なゲームかもしれないが、なんだかんだで飽きるまでは、もうしばらく他人にとっちゃどうでもいいWordleのスコアを毎朝Twitterにシェアしつづけるのだろう。

 

2022年の手帳もロルバーンダイアリーにしました。

店頭で一目惚れしたサンドイッチ柄「フルーツサンド」

今年の手帳はロルバーンのものにした。
ロルバーンのダイアリーを買うのは去年に引き続き2冊め。普通のノートブックも好きだ。
ひんぱんに投入される限定デザインの表紙も収集欲をかきたてるし、何より黄味がかった方眼ノートの本文ページが使いやすくて気に入っている。

shop.delfonics.com

昨秋時点で、日々の色々な記録はScrapboxGoogle spreadsheetで付けていたし、PCを購入してからますますアナログ記録の頻度は下がっていたので、いよいよ紙の手帳ももう不要かな…、と12月初旬までは思っていた。しかし結局、年の暮れも迫ったころ、一応見るだけ…と立ち寄ってみた東急ハンズの特設コーナーで、まんまとお気に入りを見つけて買ってしまった。

購入当時、というか今もだけど、このところずっと自分に緊縮財政をしいているので、可愛い手帳をカバンの中に収めた帰り道の頭の中には1430円という購入価格がぐるぐるしていた。生命の維持にたいして必要でないものに1000円以上のお金を払ったのが、ずいぶん久しぶりのような気がした。自分が気に入って手に入れたいと思ったものなのだから、ゆくゆく「高かったのに…」なんて考えに至るのは絶対にいやだ。今のこの、お気に入りを自分のものにした! 来年いちねんを、これと一緒に過ごすんだ! という嬉しい気持ちを、いつまでも持続させていたい。だからこの一年で使って使って使い倒して、買ってよかったと思いたい。最終的にこう結論して、ぐるぐるを止めた。可愛いが作れるのと同様に、「買ってよかった」も作れるのだ。

ロルバーンダイアリーをほぼ唯一「ダイアリー」たらしめる月間カレンダー

ロルバーンの手帳の構成はいたってシンプルで、見開き二年分の年間ブロックカレンダー、1ページ3か月分のバーチカル年間予定表(N-1年10月からN+1年3月まで)、見開き1ヶ月のブロック月間カレンダー(期間は年間予定表に同じ)が終わるとあとは茫々たる本文ページが広がっている。週間ページはバーチカル派?ホライゾン派?みたいな議論とはまるで無縁なのである。そしてこれがバレットジャーナル式の自己管理によくマッチするのだ。

kn.hatenablog.jp
普通のプランナーと行きつ戻りつしながら、なんだかんだで去年再開したバレットジャーナル。

去年は月初にMonthly plan、日々のJournal、月末のReviewを1ヶ月単位としておもに繰り返していたけれど、今年は年始に立てた筋トレの短長期プランをブレイクダウンしていきたいという目的のために、週初めに筋トレスケジュールページを見開き2ページで作った。
同様に筋トレ以外のことを書く週間ページも見開き2ページで設け、記録する項目を絞り、その他記録したいことがある日は別にページを設けて書くことにした。悪筆なのでちょっと恥ずかしいけど、毎週インスタグラム等へそれらをアップするのもモチベーションが上がっていいかな、なんて思っている。インスタ、このところほぼ何も投稿していなくてなんだかもったいない感じがするし。
今のところ記録は順調に進んでいるが、しばらく続けられればここでも記事にしたい。

去年のバレットジャーナル再開時におさらいとして読んだ本。
ノートで管理したいこととそうでないこと(アプリや他ツールを使うetc)を最初に決めておくとうまくいく気がしている。

今週のお題「手帳」

未来に期待するということ(2022/1/10日記)

この年末年始はライブ配信高校サッカーを観ていた。

10年超ぶりにサッカーの試合を観戦して、その楽しさを思い出すことができたのも嬉しかったし、優勝校の青森山田はもちろんのこと、どの学校も純粋にプレーが上手でひたすら感心してしまった。
いまの情報へのアクセシビリティを考えてみると、世界レベルのプレーを研究するにしても、効率のいい練習や食事メニューを考えるにしても格段に「開かれている」のだから、諸々のアップデートは当然といえばそうなのだけれども。とはいえ、青森山田のそれは(審判へのアピールや後半の時間の稼ぎ方など含め)良くも悪くも正真正銘の超高校級だった。サッカーの内容以前に、(ユニフォームのデザインがそれを強調しているというのもあるけれど)選手全員がすごい筋肉の付き方をしているのがとにかく印象的で(特に大腿四頭筋!)、練習量、リソースの豊富さや注ぎ込み方、フィジカルの強さなどが全部表れているなと驚嘆した。

私は20代後半くらいから10年ほど、世の中これ以上良くなる兆しがないなと漠然と思って生きていた。だから子どもも欲しくなかったし貯金も大してしなかったし、未来について特に何も期待していなかった。勉強だけは趣味で続けていたけれど、別に何の担保がこの先あるわけでもなく、本当に単なる暇つぶしの中でマシなアクティビティだからやってるという感じで。読書も他の趣味も同じで、特に何を期待しているのでもなかった。

考え方が少し変わったのが、3年前に甥っ子が立て続けにふたり生まれたときだった。そのうち一人は、生後2か月のときに週末に一泊だけ育児のヘルプに行った。実家から戻って週明けの出社日に、私は会社の先輩同僚に興奮して言った。「赤ちゃんって凄いですね!あの子の未来のために頑張っていい世の中にしようって思いました!」
先輩からは「え、そっち?」的な反応を笑いとともに頂いたように思う。だけどそれは心からの感想だった。「赤ちゃんかわいいですね、子育てっていいものですね」などが(話し相手が3人の子どもの育休や時短勤務を経験した年上の女性会社員である点を考慮しても)模範的な感想だったのかもしれないが、私には週末ちょっと人手不足を埋めただけの、ほぼいいとこ取りの育児介助だけでそういう軽薄な感想をさらさら言えるような社会性はなかったし、そう心から思えるほどチョロくもなかった。
だけど、自分がたとえこの先いいことがなく、成長もなく、ただ下降線をたどっていくだけだとしても、未来というのは他の人間にも私にも存在していて、それは善いものでなければならないのだ、ということがその時ようやくわかったのだった。

きょう青森山田大津高校の決勝戦を観ながら、その時のことを少し思い出した。画面の向こうで国立競技場を走り回る男の子たちは私より約20歳年下で、まごうことなき次世代の人間で、未来は善いものだと(たぶん)信じているし、それと同時に、20年前高校生だった私たちにそのことを証明している。だから私もそう信じて、過去や現在の自分に、そのことを証明していきたいと思った。

2021年読んでよかった本7冊

去年読んだ本のまとめとランキングを読書メーターで作った。
その中でも特に良かった7冊について書く。
目次はこちら。

タイトル直後の引用部分は、250文字程度の内容紹介と感想(読書メーターへの投稿と同じもの)。

1.『となりの億万長者』

イメージとしてのお金持ちと本当のお金持ちって違うんじゃ?というところから「億万長者」の研究を始めた著者たちの成果をまとめたベストセラー、らしいのだが、人から勧められるまで寡聞にして知らなかった。3〜6章だけでも◎とのことだったけど、面白くて順番を前後しながらも結局全部読んでしまった。計算式によると私はまごうことなき蓄財劣等生。ステイタスシンボルにお金を使うな、easy come, easy goはやめろっていうのが身につまされる。ドクターノースの「王様のルール」は自分も大書したいくらい。続編も気になる。

少し古い本だけど、お金についての攻守でいうと「守」の部分で学ぶところがとても多い本。
この本によると、年齢×税引き前年収×0.2が蓄財優等生かどうかのボーダーとのこと。とりあえずその半分から目指すぞ…!

本書には「金持ち父さん貧乏父さん」的に、ドクターノース、ドクターサウスという2人の人物を例にひいた蓄財優等生/劣等生の典型的な生活スタイルが紹介されていて、上記中の「王様のルール」はドクターノースが自分の娘に掲げさせているもの。

  • 強い子になれ。人生にはバラの花園が待ち受けているとは限らない。
  • 「私ってかわいそう」と言ってはいけない。自分を哀れな人間と思うな。
  • 靴のかかとを踏んで履かないこと。粗末に扱って、新しいものを欲しがってはいけない。ものを大切にしなさい。
  • ドアをきちんと閉める。家族のお金を無駄にしないこと。
  • ものを使ったら元へ戻すこと。
  • いつも明るく。
  • 助けを必要とする人には、すすんで手をさしのべること。

その他に印象に残った箇所。

人は、食べ物や飲み物の嗜好、スーツや時計など身につけるもの、車などで相手を判断するきらいがある。優秀な人は洗練された好みを身につけていると決めてかかっている。しかし、金を貯めて金持ちになるよりも、ものを買う方がずっと簡単だ。
(第2章)

経済的にしっかりした基盤を持とうと考えているなら、きっと実現できる。
だが、よい暮らしをするためにお金が欲しいと思っているのなら、一生、金は貯まらない。
(第4章)

2.『プリズナートレーニング 圧倒的な強さを手に入れる究極の自重筋トレ』

kn.hatenablog.jp

囚人が監獄で孤独に取り組む筋トレをコンセプトに、限られた設備での自重トレを部位ごとの特に6種目にフォーカスして紹介した本。各種目は10段階のステップに分かれていて、例えば胸筋ならプッシュアップ(腕立て)の立って壁に手をつくものがステップ1で、片腕でのフルプッシュアップがステップ10という感じ。6種目のコンテンツだけならYouTubeやアプリで「Convict Conditioning」で検索すれば把握可能なのだけど、本書の肝はその圧倒的な情報量で、ルーチンの組み立て方やバリエーション紹介など大変有用。

筋肥大目的、ルッキズム至上主義のマシンによる筋トレを断罪し、機能性に優れた本当の強い筋肉を自重トレーニングで培おうという大変硬派な書。表紙からしてちょっとネタっぽいのだけど(著者が元囚人でキャリステニクスの継承者みたいなコンセプト含め)、中身はうってかわって本当に実用的だし示唆に富んでいる。
紹介されているメイン6種目(本書でいう「ビッグ6」)のうち2種目(ブリッジとハンドスタンドプッシュアップ)は上級者向けなので、他の4種目(プッシュアップ・スクワット・プルアップ・レッグレイズ)に取り組んでいるところ。プルアップのほとんどのステップにはぶら下がるためのバーが必須なのだけど(レッグレイズの後半のステップにも)、章末に紹介されていたバリエーションのうち、器具不要で広背筋を鍛えられるものを見つけたので、家ではそれをやっている。
引用したい箇所は多いけど、いま手元にないのでそのうち追記したい。貸していた本が戻ってきたので、お気に入りの箇所を一部引用して追記する。(2022/1/10)

お金に支配されたほかの世界と同じように、これが”欠かせない”というイメージにだまされてはいけない。それはペテンだ。筋力と健康の頂点に達するために必要とするのは、これらの製品(引用者註:ジムの会員証、シューズ、ウェア、サプリ等)やその他もろもろではない。
あなたの体、正しい知識、そして確固たる決意。これだけあればいい。(CHAPTER 3 監獄アスリートのマニフェスト

「できるだけ難易度の高いトレーニングから始めたい」。ほとんどの男はそう考える。確かにハードトレーニングは大切だが、その欲求に耐えることも大切だ。
(略)シリーズの最初のほうのステップは、だれもができる容易な内容でもある。しかし、長期的に見ると、ステップ1から始めることが大きなメリットをもたらす。関節を強化し、筋肉間の協働力を高め、体に、バランスの取り方、タイミングの測り方、リズムのつけ方を教えるからだ。よりハードなエクササイズへのモチベーションも醸成する。

キャリステニクスを通じて培う本物の強さは、ティーンエイジャーが熱に浮かれたようにダンベルを挙げて求めるものとは訳が違う。これからの人生に大きな恩恵をもたらすものだからだ。つまり、基本的で簡単なエクササイズの習得に数週間費やしたとしても、それは、わずかな時間でしかない。(CHAPTER 11 体を鍛える時の知恵)

3.『観察力を磨く 名画読解』

弁護士で美術史家というユニークな肩書を持つ著者がこれまで多数おこなってきた、アート鑑賞から観察力を上げるセミナーのエッセンスをまとめた書。セミナー受講者の中には警官や捜査官、医師や医学生など観察力の欠落が命取りになる職業も。フルカラーで課題演習がたくさんあるので、受講者のような気分で読み進められる。バイアスに囚われず、主観をまじえず、ただ目に映るものを正確に受容する力、そしてそれを詳しく描写する力は鍛えて伸びるものなんだということが実証的に書かれていてとても面白かった。ぜひ仕事に活かしたい。

2020年に読んだ『独学大全』で紹介されていて興味を惹かれて買った本。カラー図版多数というのもあって安価ではなかったけど、本当に面白く、読んでよかった。

発見とは、みんなと同じものを見て、誰も考えなかったことを考えることである。

本書にはアインシュタインのこの言葉が引用されていて、バイアスに囚われずに物事を見る力、欲しい情報を正しく適切に得る力、そして得た情報を適切に処理し伝える力を絵画鑑賞を通じて養おう、というのを旨としている。
例えば、物の見方では三面アプローチ(私は何を知っているか/何を知らないか/何を知らなければならないか)、伝え方ではKISSの法則(Keep It Short and Simple)など、簡潔で覚えやすいものも多く、日常生活にも応用ができそうなことばかりだ。

残念ながら本書を読んだあと美術鑑賞をする機会はいまだ訪れていないのだけど、次に絵を鑑賞する時はじっくり細かいところまで観察し、背景を想像してみようと思うとわくわくする。

4. 『華氏451度』

主人公のファーストネームは、爆薬への点火前に逮捕され後世の人々から自身を象った人形に火を付けられるガイ・フォークスを想起させる。人形のように粛々と「昇火士(ファイアマン)」としての任務をこなす彼はある夜の出会いをきっかけに自らの生活に疑問を持ちはじめるが、クラリス、フェーバー、グレンジャーそれぞれとの出会いや旅立ちはあたかもそれぞれが一冊の本との邂逅や対話のようでぐっとくる。ベイティーが特権的に振りかざす、夥しい引用へのアンチテーゼとしてのグレンジャーの言葉が印象に残った。

kn.hatenablog.jp
ディストピアSFの古典ながら初読書。賢人の生き残りのひとり、グレンジャーの言葉はかけらでも読書家を自称する向きには心に留めておきたいもの。

われわれがただひとつ頭に叩きこんでおかねばならないのは、われわれは決して重要人物などではないということだ。知識をひけらかしてはならない。他人よりすぐれているなどとは思ってはならない。われわれは本のほこりよけのカバーにすぎない、それ以上の意味はないのだからな。

本書の引用符に囲まれた部分について多くの人が出典元を探し、考察サイトも多数存在したというのを巻末の「出典」で見て、オタクムーブ変わらないなーとほのぼのした気持ちになったりもした。しかし1箇所不明なところがあって、著者存命中にもかかわらず本人に聞くのはエチケット違反みたいな空気があったのか、結局そこは謎のまま、といういにしえのオタク良い話も知ることができた。

5. 『脳を鍛えるには運動しかない!最新科学でわかった脳細胞の増やし方』

タイトルの「脳を鍛える」は学力の向上とか、記憶力が良くなるとかの一昔前でいう「脳トレ」だけにとどまらず、脳機能全般を指していて、具体的にはうつ、ホルモンバランスの乱れ(PMS)、老化などへ運動が与えるプラス作用を、豊富なエビデンスとともに紹介している。本書で推奨される有酸素運動の量に怯んでしまう向きにも「やめてしまうよりは、低強度でも続けていたほうがはるかにいい」と優しい。あくまでマイナスの気分を感じない程度の運動を、自発的に楽しく、そしてできれば他人とのつながりを感じられる方法で、というのがポイント。

ずっと読みたかったところ、Kindleセールで見つけて読んだ。
文武両道という言葉があるけれど、本書いわく、「学習と記憶の能力は、祖先たちが食料を見つけるときに頼った運動機能とともに進化したので、脳にしてみれば、体が動かないのであれば、学習する必要はまったくない」ということで、学習の効果を上げるためには体も同時に動かそうね、ということらしい。
ただし、本書の日本語版タイトルにも語られているそうした内容は実は一部の章にすぎず、原書タイトル「SPARK: The Revolutionary New Science of Exercise and Brain」の通り、総合的には運動と脳の働きの関係(学習のみならず、ストレス対処、うつ、依存症やダイエット、PMS認知症など)全般を扱った本である。

著者の本業は精神科医とのことで、うつのメカニズムに関する記述も勉強になった。

そもそも脳の仕事は、つねに回路を接続し直しながら情報を伝達し、それによって人間を環境に適応させ、生き延びさせることである。ところが、うつになると、特定の部位でその適応機能がはたらかなくなる。つまり、細胞レベルで学習が遮断されるのだ。そうなると脳は、自己嫌悪の否定的な堂々巡りに陥り、その穴から脱け出すのに必要な柔軟性も失われる。(第5章)

私は今まで筋トレメインに運動をやっていたけど、本書が勧めていたというのもあって3~4か月前から有酸素運動も始めた。ちなみに「ラットをグループで暮らすものと、1匹だけで暮らすものに分け、それぞれ12日間走らせたところ、仲間がいたラットの方に著しい」効果があったというぼっちには厳しい記述もあるが、1~2ヶ月ほど続けると両者の差はほぼなくなるらしい。理由は不明らしいが、両者とも続けるうちに、運動それ自体に楽しみを見出すからか? と私は見ている。

6. 『いつも「時間がない」あなたに:欠乏の行動経済学

一見タイムマネジメント系のビジネス書を思わせるメインタイトルだが、実際のところはサブタイトルが示すscarcity(希少性/欠乏)にまつわる研究をまとめた書で、欠乏の対象は時間にとどまらずお金(貧困問題)や人間の処理能力にも及ぶ。欠乏は人に「トンネリング」を起こさせ、その集中がプラスに作用することもあるが大概は視野狭窄を引き起こす。「スラック」という予備(遊び)の部分を残すことで、その緩和や解決を試みることができるという話。ダン・アリエリーや名著『最底辺のポートフォリオ』への言及もあり、面白かった。

早川書房Kindleセールで。欠乏を「自分の持っているものが必要と感じるものより少ないこと」と定義づけ、そうした心理状態がもたらす効果を経済や生産性の側面から描いて見せた好著(なのでタイトル詐欺感はちょっと否めない)。
欠乏の負の効果に対処するための概念が「スラック」で、余白や遊びの部分を残しておく方がかえって生産性があがるとのこと。そしてそれを手に入れる方法は「大きいスーツケースを手に入れるか、スーツケースに詰めたいものの数を減らすか、どちらか」ということになる。It’s easier said than done.とはいえそのように心がけてやっていくしかない。
自分のスラックを守ることは心身の健康にも良いはずなので、本書で紹介されている「20-20-20ルール*1」は仕事にも取り入れたいところ。

同時期に同じセールで買った『デジタル・ミニマリスト』も面白かった。

kn.hatenablog.jp

7.『カンマの女王 「ニューヨーカー」校正係のここだけの話』

校正というお仕事の特殊性や特異性はしばしば日本でも話題になるけど、本書は『ニューヨーカー』の叩き上げベテラン校正係の方による、チャーミングで笑えて英語の勉強にもなる楽しいエッセイ。特にノンネイティブにとっては感じようのない母語話者ならではの感覚と、それに引きずられて生じる文法上の間違いの数々は本当に興味深い。原文の言葉遊びやユーモアを極力「ママイキ」にしてくださってる訳の細やかさも、どこまでも行き届いていて素敵。鉛筆について割かれた1章はアナログ文具好きにはたまらないものがある。年初から良い本読めました。

英語における新語の受容のされ方や各辞書への信頼度や使い方などの「あるある」な話も面白く、prescriptivist(規範主義者)、descriptivist(記述主義者)なんていう「ならでは」の語彙も拾えたりして英語学習の幅も広がった1冊。とはいえ、本文中に紹介されているカンマの有無とかカッコの使い方、両者の選び方などはノンネイティブの自分にはまだとても咀嚼できそうにないくらいハイレベルだ。
読後には著者のTEDも視聴したが、本書の雰囲気そのままの明るさや快活なユーモアがあって楽しい。
www.ted.com

おわりに

私は読書メーターで毎年のおすすめランキングを作るたび、この年もいい本が読めたなあとしみじみ思う。
結局のところ、読むか読まざるかというところから含め、
① 自分の持つ可処分時間と労力の限界を知り、
② 本のページを開いて一定程度の時間と知力と視力を捧げることを決め、
③ ②に値する本を選んでいく(値しないと判断した時点で潔く読むのをやめる)
というのを必ず自分軸でおこなうことが肝要だと思っている。そうすれば、〇〇ジャンルは読書にあらず、とか△△を読まざれば読書家にあらず、とか、××さんが勧めていたけど大したことない(あるいは時間/労力/金の無駄だった)、みたいな無責任な言説とは可能なかぎり距離を置くことができる。

いうまでもなく、上記の①②③はニーバーの祈り*2からのアレンジである。

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カート・ヴォネガットスローターハウス5』の挿絵より「ニーバーの祈り」

今年も読書含め、自分がしたかったことすべきだったことがたくさんできたなあと振り返れる年だといい。

*1:電子書籍は本当に目に悪いのか?いくの眼科院長 兼 日本近視学会副理事長 生野恭司先生インタビュー(3ページ目)の3.を参照。

*2:神よ願わくばわたしに変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ